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ジェイラボワークショップ第52回『今年度の部活動への意気込み』【哲学部】[20230424-0430] #JLWS

今回の哲学部WSは年度の始めということもあり、各部員が哲学部に対する意気込みを語っています。

以下ログです。

Day 1

■コバ

皆さんおはようございます。
本日から今年度の初回哲学部WSスタートです。
文章は今晩から投稿していきます。
よろしくどーぞ!

哲学部の主な活動は、昨年度から継続して行なっているマイケル・サンデル「実力も運のうち 能力主義は正義か?」の輪読と約1ヶ月に2回のペースで行っているビデオミーティングです。

個人的な話になりますが私は最近クラシック音楽、中でも主にバッハにハマっています。
バッハの曲は一連のリズムの繰り返しの曲が多いのですが、私達の日々の生活もそうではないでしょうか。朝が来て昼になり、夜が来る、そしてまた朝が来て、というように俯瞰して見れば私達の日々も繰り返しです。

哲学的な思考を日々行なっていると、どうしても一般社会の感覚とはズレが生じてきます。
そしてそれは本音と建前が横たわる「大人の世界」では、より顕著になります。
むしろ突き詰めた思考なんて「大人の世界」を生き抜くためには足を引っ張るシチュエーションの方が多いです。
それらのズレを矯正する特効薬があるとすればそれは哲学的な思考をやめることですが、果たしてそれは正しいことなのだろうか?そもそも正しいとは何なのか?そんな疑問がまた頭に湧いてきて、そんなことをしているとズレを矯正するどころかもっとズレていってしまうかもしれません。
しかし突き詰めれば誰しも「普通」からは大なり小なりズレているのです。つまり「普通の人」などどこにも存在しないのです。

どれだけ哲学的な思考を行おうとその思考を行う主語はどこまで行っても「私」です。そして「私」がいて「あなた」がいます。
どこまで抽象思考を突き詰めても「私」と「あなた」がいることは忘れないようにしましょう。
今年の部長としての哲学部運営のテーマは「コミュニケーション」です。宜しくお願い致します。

Day2

■イヤープラグさざなみ

この頃、自分の考えを言葉にすることが億劫で、もう本当に何もしたくなくて、眠くもないのに布団にもぐってしまう日が続いていました。そんな中でも、本を読むことは続けていました。ページに引かれたマーカーのラインは、それを読んだまさにその瞬間、自分がその言葉に心動かされたことの印です。印をつけるのは、あとで見返すためです。新しく本を買うこともありました。買ってすぐには読まない本もあります。タイミングが来るのを待つのです。

自分の心も体も、案外脆いんだなと実感する日々です。自分の力ではどうしようもないこともたくさんあります。そんな中でも生きていけるのは、未来に対する希望を捨てていないからだと思います。希望とは何なのか、自分でもよく分かっていませんが。とにかく、自分は今、上に向かって枝を伸ばしたり、花を咲かせることはできないけれど、下に根を張っている最中なんだということにしています。自分で勝手にそう決めています。そしてそう決めたら、もう、そうなのです。虚脱感に苛まれながらも、未来に目を向け、自分の現状に解釈を与える体力は残っていたようです。

哲学部にはそんな自分のことを温かく見守ってくれるような雰囲気があります。定例ミーティングでみなさんの顔を見て、何度も励まされました。ありがとうございます。

そんな哲学部での今後の目標は、自分にしか書けないことを、相手に伝わるように書くことです。この目標は哲学部に限りません。どれだけ言葉を尽くしても、自分の考えが完全に相手に伝わることはありません。そもそもそれは確かめようがありません。それでも、読み手を意識して書くことそのものに意味があるし、それこそが「書く」ということでしょう。一朝一夕に出来るようになるようなものだとは思っていません。そしてどこかのタイミングで完璧に身につくものでもないでしょう。終わりのない目標で、時間もかかる。そしてだからこそ、それに取り組むことに価値があるのだと思います。先を見据えながらも、のんびりやっていこうと思います。よろしくお願いします。

Day3

■YY12

真に哲学を行えるのは音楽や芸術と同様に何かしら哲学的情熱や能力を持った者だけというのが僕の考えです。例えば、輪読で哲学書に触れると「良くこんなことをこんな深く考えようと思うな」と感じるような人々に出会いますし、自分には何百年生きても出来ないだろうとも思ってしまいます。
では、なんで僕はそのような活動に参加しているのか。それは多分誰しもが持っているような日々の鬱憤や疑問の風船に小さな穴を開けてくれるからというのが今のところの大きな理由です。
今年からは大学3年なので就活なんかを意識するのですが、そうなるとどうしたって俗世や社会の息苦しい空気をふんだんに吸わなくてはいけません。そんな生活の中で、哲学的(という言葉が仰々しいなら「想い」)を吐き出し共有できる場所があるのは恵まれていると感じます。
「想い」を話せたり、それなりにガチでものを考えて書いたりする機会は不思議なことになかなかありませんから今年度も部活頑張りたいと思います。今年度もよろしくお願いします。

Day4

■Tsubo

特に何も考えていないので,適当につらつらと書きます.

去年,そして今年はおそらく「生成モデル(AI)」の大規模な躍進が起きた年として歴史に残るでしょう.もちろん躍進の準備は前から着々と進んできてはいたのですが,多くの専門家以外の人たちの目に触れたという意味で躍進したと意味付けされるでしょう.

さて,この「生成モデル」は例えばchatGPTに代表されるように自然な応答ができたり,Diffusionモデルのように人間が描いたイラストと見分けがつかないような絵を自動生成できたりします.
世間の人は(特に絵師界隈は)生成モデルがさらに発展すれば創作する意味がなくなる!だから生成モデルはだめ!と言っている人たちが多いですが,僕は生成モデルがこれから先どんどん発展しても人間が創作する,ものを考えて表現する意味や意義は無くならないと思っています.

それは,人間が「身体を伴ってこの世界に生き,ものを考えることができる存在」-つまり「哲学」することができる存在だからです.
基本的に,生成モデルや一般の機械学習モデルは「目的」自体を生成することはできません.人間の「目的」,「意志」がないと動作することはないのです.そして,「目的」自体を問う行為,物事の表層的な粒度を超えた「意味」を問う行為,「哲学」は身体を伴って生きていて,この世界に対し疑問を持ち思考するという一見かなり無駄な行為にカロリーを投下できる人間という存在にしかできません.
生成モデルの発展は,創作や仕事,そして人間自体を無意味にするのではなく,むしろ人間自身を問う「哲学」を人間という存在に突きつけることによって,人間をさらに有意味にしていると僕は考えています.

もちろん,この「哲学」という行為は生存や社会的成功にかなり無関係なので,あまり正面切って「哲学」について議論してくれる人は周りにあまりいません.(かなしい)
ですが,ここジェイラボには「哲学部」というそんな奇特な人たちがいます.
最近締め切りや進捗に追われ本をあまり読めてない&哲学的思索ができていない日々が続いているのですが,日々の無駄な思考を投下したりなどして忙しい中でも参加していきたいと思います.よろしくお願いします

Day5

投稿なし

Day6

■Daiki

去年の部活動オリエンテーションの時期に入ったので、J LABのコアコミュニティに入ってもうすぐ一年経とうとしているのかと思うと、本当にあっという間の一年でした。普段私は哲学が一円の足しにもならない「大人の社会」の中で生活しており、哲学部との両立はなかなかに難しいので、部員の皆さんにも迷惑かけっぱなしな状態ですが、哲学部から追い出されていないことは感謝しかありません。

私が生きてきた中での短い人生での話ではありますが、色々なコミュニティに参加したり、参加を試みたりする中で哲学部のような集団に出会ったことがないですし、今後もおそらくないと思っています。

今年はそんなコミュニティに属している幸せを噛み締めながらも哲学部と向き合っていきます。将来artistになるので、テクニックどうこうよりまずは自分の全てを曝け出す覚悟をし、そこから考えを表現できるようにもなっていきたいです。また一年間よろしくお願いします。


Day7

■コバ

それでは時間も来ましたので今回の哲学部WSはここで締めさせていただきます。

哲学が実生活で役に立つか、それとも役に立たないのか。
現代社会で生き抜くためにはそういった観点も大事なのかもしれませんが、少し視野を広げてみればこうして年齢も立場も違う人達が一緒に「哲学」していること自体が幸せなことではないでしょうか。
その思いは忘れずに活動を継続していきたいと思っています。

最後になりますが今年度も哲学部は頑張っていきますので、皆さん宜しくお願いします!


1週間ありがとうございました。今年度も哲学部をよろしくお願いします。

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