女であること
バスタイムが好きです。
ボディスクラブでマッサージしながら念入りに身体を洗ったりすると、メンテナンスしてキレイになっていく自分を少し好きになれる気がする。
バスルームから出たあとの時間も好き。ネイルまでする。
いつか手や指を褒められたことを思い出します。小柄な割に指をほんの少し長めにつくってもらったので。
その時のことは私にとって特別な出来事でもあるので、ハンドケアはことさら念入りになったりする。
女の子で良かったなとか、女に生まれたよろこびとか、本当にわからない。
たまたま女として生まれて女として生きてるので、「どうせなら」という気持ちで「良かった」と“思う”ことは多々あるけども。
心の底から「女でよかったな」と感じたこと、これまでにあっただろうか。
嵐の大野くんのことが好き。もちろん全てを知ってるわけじゃないけど、その精神性に憧れがある。
どんな状況でも面白がれる彼のマインドを、私も欲しいなと強く思い、そうする努力をしてきた。
努力というそんなに泥臭いものではなくて、発想を転換する訓練をした。練習を重ねた。
それでできるようになったのは、変えようもなさそうなこの現状を楽しんだり面白がったりすること。
女で生まれたことは、私にとっておそらく簡単には変えようのないことだ。しかも、莫大なエネルギーを割いて変えようというものでもない。
だから、女であることを面白がれたらいいなと思っている。
ハードなことも度々ある。変態に追い回されて居宅が割れたこと、おかしくなった元カレとのいざこざ、見ず知らずの人に加害されることなど。
それは私が女だからか、私がどんくさいからか、私が“そういう風”だからかはわからない。
それはそれで仕方がない。異性だったら……というのは、無い話だからしても仕方がない。
私のような男であれば、あるいは加害対象になりうるかもしれない。
話戻すね。
女であることを面白がる一環としてこうしてバスタイムを好きだと思ったりするけど、たまに虚しいことがあるよ。
私は、本当は、私の好きな人から、この体が無くても愛されたらいいのになと思ったりする。
実に贅沢な願いではある。愛されるというのは。
叶うかな。わからないけど、出会えてよかったと今は思っているよ。
あと、結婚の意図とはなんなのかもう一度聞いてみたい。ちょっと死にたい、肉体からの解放。
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