チャンスの女神は前髪しかないらしい。
神というものを皆さんがどう捉えているか定かではないけど、神はエネルギー体です。
見えざる、しかし確かに感じるエネルギー体を“神”と定義づけ、キャラ付けして共通認識的に扱うってわけ。
妖怪なんかもそうだね。
例えば天狗。
山という人智を超えた危険をはらむ場の持つエネルギーを、畏敬を込めて“天狗”とキャラ付けしてある。ミステリアスで神秘的、厳しく堅い、時にこわいようなエネルギーだ。
ひだる神なんてのもある。疲れは憑かれということだ。
余談はさておき、チャンスの女神は前髪しかないらしい。
掴むには瞬発力だ、躊躇うような隙はない。
顔を見るなんてとんでもない、姿かたちすら分からない。
チャンスとは、必ずしも幸運らしいナリをしてるとは限らない。
予想もつかない顔立ち表情佇まいで、現れたとも言えない速さで過ぎ去っていく。
チャンスを掴むにも体力が要るんだよ。
それは力重視の重い筋肉じゃなく、スピード重視の極限まで軽い瞬発的な体力。
あと判断力。
きた!と思ったらもう掴む。
きた!と思う前にもう動く、思う頃には手の中に。
それぐらいのやつ。
身軽さは覚悟の表れでもある。
身一つで行く、不要物を削ぎ落としきって自分の価値観だけで行く。
そういう人が幸運の切符を手にするんだろうね。
素粒子は人の意識が向いて初めて観測されるという。
明日、好きな人に会う。彼女とはもう十年来の友人だ。
私は、好きな人に会う時、自分はどんな風に見られるだろうかと気を揉みがち。
とりわけ前髪のなす造形に問題が無いかどうかに意識が集中する瞬間がある。
意識が前髪にだけ向くとき、私は前髪だけの存在だ。好きな人にとってチャンスの女神でありたいものだ。
しっかり掴んでちょうだいね。
じゃあね。
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