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野ノ尾盛夏の価値観と真辺由宇の瞳

 私について書こうと思う。

 私に、私の命の価値を知らしめたのは「階段島」シリーズだった。そのとき私は大学2年生だった。春休みのことだったと思う。当時付き合っていた人との関係で私は苦しんでいた。なにを選んでも選ばなくても私の価値観に誠実であれないような気がして、どうしていいのかわからなかった。そんなとき、あたかも天啓を受けたかのように、私は私自身の価値を確信した。価値、というと、大仰かもしれない。多分に感覚的なことだから言葉にしてニュアンスを伝えることは難しいのだけれど、強いていうなら「私は『階段島』シリーズに出会うために生まれてきたのだ」と思った。やはり言葉にすると失われてしまう部分が大きいように思う。

 それからもいろんなことがあったわけだけれども、バランスを失ってしまったときなんかはここに立ち返る。そもそも、「階段島」シリーズに加えて、「サクラダリセット」シリーズのふたつの物語は、私に、私のままでいいんだと教えてくれた大切な作品で、今も私はこのふたつの物語を思い返すことで私のままでいられているのだと思う。

 今、私は追い込まれている。とても。苦しくて、悲しくて、堪らない。体の状態が安定しなくて、昨年と同じようにせっかく合格したのに大学院への進学を断念せざるを得ないかもしれない。そう思うと、怖くて、悔しくて。私はなんて無力なんだろうと思う。もしかしたら私は、なにもしないのが正解なのかもしれないと夜がくるたび思った。そのたびに真辺由宇の言葉が思い出された。

「もしかしたら私は、なにもしないのが正解なのかもしれない。貴女の言う通り、ただ怯えていればいいのかもしれない。でも、全員がそんな風に考えていたら、ぜったいに、大地は救われない。誰かが足を踏み込まなければならない」
河野裕、『夜空の呪いに色はない』、新潮文庫nex、2018、237頁.

 私は無力かもしれないけれど、真辺由宇の価値観を美しいと思うことができた。それが誇らしくて、嬉しくて。それ以来私は、私にとって大切なことを諦められなくなった。考えて考えて行動し、間違えたらそのたびに直す。私はそれが誠実さというものだと思うし、結局のところ、人生はそうやっていくのしかないのだとも思う。体は痛いし、思うように勉強できない。それはほんとうに苦しいし、悲しい。それでも私は、やはり真辺由宇の瞳に出会ってしまってから、なにも諦めたくないと思った。私はそういう私でいたいから、苦しくても、悲しくても、みるべきものから目を逸らしたくない。

 真辺由宇はこうも言っている。

「違うよ。苦しいことや、悲しいことを、乗り越えられると信じるのが信頼だよ」
河野裕、『夜空の呪いに色はない』、新潮文庫nex、2018、172頁

 私はどうしようもなく真辺由宇ではないし、彼女のようにはなれない。けれども、彼女のあり方を心から尊敬している。言葉ではなく行動で、突き刺すような鋭利な瞳と声で、私を縛る。だから私は、私でいられる。

 私の価値観は、七草や「サクラダリセット」の野ノ尾盛夏に近いのだと思う。たとえば、七草の次のような言葉にはほんとうに私の価値観と近いものを覚える。

「会話っていうのは、なにを言うのかだけが重要なわけじゃない。本当に大切なのは、なにを言わないでいるかだ」
河野裕、『凶器は壊れた黒の叫び』、新潮文庫nex、2016、112頁.
「僕は幸せになりたいわけじゃない。でも不幸にはなりたくない。本当に大切な夢を諦めるのは不幸だ。幸せになれたとしても、不幸だ」
河野裕、『凶器は壊れた黒の叫び』、新潮文庫nex、2016、262頁.
「嬉しいから、泣くんです」
その言葉は、神さまの耳には、嘘に聞こえたかもしれない。だって僕は、悔しくて泣いていたんだから。でも僕にとっては、言葉の方が真実だった。これを嬉しくて流した涙にしようと決めて、そっちに足を踏み出した。なら、きっと大丈夫だ。これからの僕は、ネガティブな涙を、もっと肯定的な意味に変えていける。
河野裕、『夜空の呪いに色はない』、新潮文庫nex、2018、259頁

 七草の価値観は、真辺由宇のように崇高で、純情で、鋭利ではないかもしれない。私自身は彼とほんとうに近い価値観を抱いている。七草と同じように、ではなくとも、私も真辺由宇に憧れられた人間だからなのかな、なんて思う。

 日々を過ごす私は、「サクラダリセット」の野ノ尾盛夏にいちばん近い価値観を抱いているのだと思う。私も彼女と同じように、人間はあまり得意ではないし、猫のほうが好きだからだ。立ち振る舞いとかあり方に、近いものを覚える。

 たとえば、彼女のこの言葉は私に、私自身を思い起こさせてくれる。

「なんでも、気楽な方がいい。そうだな、私たちは下らない話をしよう。無意味で、思わず眠くなってしまうような。ただ心地よいだけの話をしよう」
河野裕、『さよならがまだ喉につかえていた サクラダリセット4』、角川文庫、2016、166頁.

 私の価値は、私の行為では決まらない。そんなことはわかっている。けれど、涙が止まらない。私はなんて無力なんだろう。もしかしたら私は、なにもしないのが正解なのかもしれない。そう、何度も思った。でも、私は生きている。私が心から美しいと思えたふたつの物語を今もまだ愛したまま、生きている。それは言葉では表せないほど奇跡的なことで、感謝で涙が出そうになる。私は泣いてばかりだ。

 だから私は、苦しくても、悲しくても、選び取ることの価値を忘れない。昨年と同じようにはぜったいにいかせない。今はまだ、私の価値観が私に司法試験を諦めさせない。だってその道は、私ならきっとできるって信じた道だから。いつか諦めることになったとしても、それは今ではない。今はまだ、その日がずっと来なければいいなと祈ることしかできないかもしれない。私は無力だ。そんなことは知っている。でも、無力だからといって、なにもしなくていいことにはならない。苦しくても、悲しくても、私ならぜったいに選んだほうを正解にしていける。私は、私を信じている。なら、きっと大丈夫だ。



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