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私に優しさの美しさと悲しさを教えてくれた物語:「サクラダリセット」シリーズについて①

 河野裕『猫と幽霊と日曜日の革命 サクラダリセット1』(角川文庫)から始まる「サクラダリセット」シリーズについて語ることは、私自身について語ることとそう大差ないように思います。noteで便宜的に「自己紹介」を最初に書きましたが、他者を知るのにはその人が大切にしている本を教えてもらい、読んだ方がよっぽど雄弁に物語っているでしょう。そういう意味では、自分が自分について語る「自己紹介」は直接的な方法であるけれど、それはどこまでもその人を巡る事実に過ぎません。

 本を読んで触発されることは少なくないでしょう。むしろ本を読んで触発されない方が難しいかもしれません。「感動した」「面白かった」「ためになった」等々、素朴な感想から読み込んで「書評」という形態でまとまった感想を書いたり、あるいは批評という形でなんらかの媒体に載っている場合もあるでしょう。けれど、読者の価値観を根底からから覆したり、また、読者が気づいていないその人自身に気づかせるような本を滅多にありません。そういう体験はいわゆるビジネス書や新書、学術書では不可能とまでは言わないけれど、その性質上難しいです。読者の価値観を揺さぶり、また、その人自身に気づかせ得るのは、物語の力だと私は考えます。私にとってそれは「階段島」「サクラダリセット」というふたつの物語でした。その価値を客観的な事実に照らして説得的に論証することはできませんし、するつもりもありません。私は、私の価値観を揺さぶり、そして私自身に気づかせてくれた物語の神秘について語ることしかでしか、私の伝えたいことを伝えられないように思うからです。今回は「サクラダリセット」シリーズについて綴り、「階段島」シリーズについてはまたの機会に譲ります。この記事を読んで「サクラダリセット」シリーズに興味を持ち、手に取り、そして私と同じような気持ちを抱いてくれたらそれ以上の喜びはありません。

 「サクラダリセット」は文庫で7冊あり、その物語を一つひとつ追っていくのは冗長ですし、読む楽しみを奪ってしまうことにもつながりかねません。そこで、この記事では、視座をひとつに絞って私にとっての「サクラダリセット」の価値を伝えていくことにします。その視座とは、「優しさ」です。

 「サクラダリセット」には主な登場人物が3人います。それぞれ名を浅井ケイ、春埼美空、相麻菫といいます。私が「優しさ」という視座からこの物語を伝えようとするのは、ひとえに「サクラダリセット」という作品が私にはどうしようもなく相麻菫の物語に映るからです。もっと言えば、冒頭に述べた価値観を揺さぶり、また、自分自身に気づかせてくれたのがこの相麻菫という登場人物でした。『少年と少女と正しさを巡る物語 サクラダリセット7』の「あとがき」に見て取れるように、「サクラダリセット」は、浅井ケイ、春埼美空、相麻菫という主要な登場人物それぞれの物語であり、私の味方は相麻菫のそれに偏っているといえるかもしれません。浅井ケイ、春埼美空に物語の焦点が当たるときはもちろん、ふたりの価値観に思いを致すこともありますし、程度でいえば相対的に相麻菫に大きく影響を受けただけであって、そのふたりの姿からも多くを学びました。「学ぶ」という表現はニュアンスがずれているかもしれません。ふたりの姿にも大きく触発された、ということが伝わればと思います。


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