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YZRNMKの話 Vol.1

こんにちは。

さて、今回は今まで話す機会がなかった、私がこれまでにご一緒させてもらった方々との出会いや、どのようなキッカケで機会を掴んだのか、など、ちょっとした裏話などを偉そうにもお話ししていこうかなと思います。

何回かに分けて思い出した順に記事にしていこうかなと思ってます。
よろしくお願いします。

Vol.1

右も左も分からない

”バンドやミュージシャンのデザインをやりたいけど、どうやって繋がればいいの?”

そんなデザイナー志望の方、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
私もそうでした。どうやってこの片田舎で繋がればいいんだよって。
ライブハウスに足繁く通うバリバリのライブキッズでもなく、家で黙々と歌詞カードやジャケットデザイン、紙質などを吟味しながらCDを永遠に繰り返し聴き、ひたすらギターで耳コピをするタイプの人間でした。

それまで生きてきた世界って”教室”みたいなもので、私が絵を得意としていることは周りのみんなも知ってくれていました。
ですが、一歩世の中に出ると、自分は絵が描けるとかそんなことよりも以前に、自分の存在が知られてないことに気付くんです。言われてみればそうですよね。街ですれ違う人って見たこともない知らない人ばかり。

この仕事を始める最初のキッカケは、自己紹介の記事でもお話ししましたが、とあるミュージシャンのツアーTシャツのデザインを一般公募しているコンテストがありまして、そこで大賞をいただきデザインが採用されたことがキッカケでした。
大賞を獲った自信と賞金を持ってこの世界に飛び込んだまではよかったのですが、そこから先どうすればいいのか全く分かりませんでした。
誰かに聞きたくても、聞ける人が周りに誰もいない。

そんな時に、夢のようなツールが爆誕したワケです。


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"Tom!!"

今の若い子は知らないんだろうなと思いますが、この画像を見てビビッと来た方こんにちは。
当時、MySpaceというすごく人気のあるSNSがあったんです。まだ存在はしてるようですが、かなり形態は変わっているようですね。
それまでは、例えば憧れのバンドのメンバーとやり取りなんて出来るはずもなく、接触しようにも間に何人もの大人や制約が入るなど、一般人には到底越えられない分厚い壁がありました。
ですが、MySpaceは直接本人が管理してたりして、直でメッセージのやり取りが出来たりしたんですね。今ではTwitterやInstagramがありますが、当時はかなり画期的でエキサイティングなSNSでした。
復活したらまた使いたいなー。

で、そこを通して私はひたすらに営業をかけたんです。
これは誰にも負けない自信があります。国内外問わず毎日めちゃくちゃ営業をかけました。そのために英語の勉強もしました。
今考えるとかなり失礼なこともしていたのかもしれません。だって何者でもないどこの誰だかも分からない者から突然「こういう絵描いてます!よければデザインさせてください!」ってメッセージがくるんですから。

当然ほとんど返信はなかったです。当たり前ですが。
それでも毎日絵を描いて、毎日売り込みをかけて、徐々に返事をいただけるようになっていったんです。

印象としては、海外の方はリアクションが早かったですね。実際オファーはなくても、返事はちゃんとくれる方が多かったです。
あのSTEVE AOKIさんも返事をくれて、エージェントさんを紹介してもらってステッカーのデザインをやらせてもらったりもしました。ビックリですよね。

イラストレーターやデザイナーとも繋がれたり、話を聞けたりもしました。
それくらい、いろんなところに繋がれる時代でした。

バンドとの出会い

2009年。当時、私はアメリカのHUSK Industriesという印刷チームと一緒にプロダクトを作る仕事をしていました。

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"絵が拙さすぎてちょっと恥ずかしいです”

彼らは当時、Florian BertmerJacob Bannonらとも仕事をしてました。もうそれを聞くだけでスゴイじゃないですか。そこに名前だけは一応並んでたワケです。
そこで彼らのブログを読んでいたら、とある日本のバンドが紹介されていたんですね。

それが FACT でした。



彼らはすでにFACTと仕事をしていて、そこで私は初めてFACTを知りました。ブログのリンクからMySpaceに飛び、音源をチェックし、その独特なビジュアルと世界観に一気に惹き込まれ「もう絶対デザインしたい!」と本気で思ったんです。

確か、当時のFACTの触れ込みは ”逆輸入バンド” だったと思います。
違いましたっけ、Nさん?
なので、売り込みをかけようにも日本語なのか英語なのか分からず、とりあえず英語でコンタクトを取ってみると、バリバリの日本語で返信があり「あ、日本のバンドなんだ」と、それくらい真っさらな中での出会いでした。

そこから本当にすぐにデザインのオファーをいただき、まだ大阪の心斎橋にあったCLUB QUATTROでメンバーにお会いし、それから彼らが活動を止めるラストツアーのデザインまでご一緒させていただきました。

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"なちぃ"

余談ですが、先述したFlorianは後にFACT、SHADOWSのアートワークを手掛けることになります。
FACTはco3いう名義でブレイクコアの作品をリリースしていますが、私もAgoraphobic NosebleedのJay Randallと交友があるなど、いろいろ重なる部分もありました。
それから、FACTと繋がる前からただのいちファンとしてToshihiro EgawaさんともMySpaceで繋がっていました。Egawaさんと言ったらデス界では神ですから、一緒のタイミングで同じバンドのデザインをやらせてもらってたなんて本当に信じられません、はい。

どこで何がどう繋がるかなんてことは分かりませんが、やってきたことは全て繋がるんだなと感じます。

ネット社会、SNSなんかでガンガンに売り込んでいけばいいと思います。
そして、もっとアートが盛り上がってほしい。かっこいいデザインやイラストが見たいです。

自分も頑張ります。

ザーッと簡単に話しましたが、如何だったでしょうか?まとまりのない文章でしたが、楽しんでいただけましたでしょうか?
また、他のバンドとの出会いもお話ししたいなと思いますので、お時間ありましたら是非。

それでは『YZRNMKの話 Vol.2』でお会いしましょう。
では。

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