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アメリカを透かして見えるもの〜物は捨てない

最近の自分の文章は何となく暮らしにまつわるようなものが多くて、今回もちょっとそういう感じなのだが、僕自身は別にシンプルライフを提唱しようとか、「豊かに暮らすためのライフスタイルの提案!」とかそういうことをしたいわけではありません。ただこの数年間は僕にとって人生の大きな転換点の連続だったので、様々なものの見方が大きく変わった時期なのです。それを自分で確認する意味もあってこうして文章を書いています。僕らがアメリカで最初にレコーディングをしたのは2015年で、その翌年には小さなツアーを行い、その後アメリカに渡りました。2019年末に一時帰国したと同時にコロナが始まりました。そして日本に4年半。ざっくり考えると、アメリカに行き始めた前半の4年半と、思いもよらない形で日本で過ごした4年半というこの期間の間に、僕は自分の考え方や物の見方が大きく変わりました。

僕は元々、気に入った一つのものを長く使いたいと思う人間です。楽器も今回アメリカから持ち帰ったテレキャスターをずっと使っています。流石にスペアがないとダメかなと思って10年ほど前にもう一本の赤いテレキャスターを買いました。楽器を買う時は少々無理をしてもいいものを買うようにしています。その方が長く使えるかなと思うからです。アンプもそうです。ペダルも。ストラップも。シールドも。ストラップピンとかそういう細かいものも、どうせ買うならいいものをと思って買います。「その方が長く使える」というただ一点のみで判断しています。そういう性格は日用品に対しても同じで、ブランドなどは興味はないのですが、財布やら時計やらも触ってみて「しっかりしてるな。長く使えそうだな」と思うものを自分が買える範囲で出来るだけ良いもの選んで買います。鍋やら包丁もそうです。どうせお金を出して買うのなら、死ぬまで使えるものがいいと思って、少々値のはるものでも一生使えると思ったものを買います。別に僕が倹約家であると喧伝したいとか「いいものを少しだけ」というようなキャッチコピーを宣伝したいのではありません。無駄なものや意味のわからないものをだらだらと買うこともあります。ただ気に入ったものを長く使いたい、というそれだけのことなのです。

で、そういう風に生きたいと思う時に、絶対に不可欠なことがあります。
「修理」です。直すことです。
いくら良いものだからと言って壊れないわけはありません。使えば劣化もするし綻びも出るし、ガタもきます。そんな時に僕にとって欠かすことのできない存在が「直してくれる人」なのです。僕は「直せる人」が大好きです。心から尊敬しています。直す技術を持っている人は国をあげて社会をあげて絶対に守っていかねばならない存在だと思っています。この世は直せる人の力で回っているのだ!と強く訴えたいです。僕のギターはこれまで何回も何回も修理やメンテナンスをしてもらってきました。不具合が起きた時、安いものなら買い替えるという選択肢もあるのでしょう。僕は自分がとても気に入っているものを使っているので買い替えるという選択肢はありません。なので治してもらうのです。これは僕は自分ではできないことです。勉強してそうした技術を身につけるという方法もあるのでしょうが、僕がそうした意味で身につけた技術はシールドの自作と自転車のパンク修理と包丁研ぎです。これは自分でできます。話を戻すと、そうした技術を持っている人の存在は僕にとって神様みたいに神々しい存在です。自分が心から気に入っているのに経年劣化などで調子が悪くなってしまった物を元通りに使えるようにしてくれるのですから。そしてこれも経験的に理解したことですが、良い物は修理すれば元のパフォーマンスを取り戻せます。良い物は長く使えば味わいも出るし、楽器に関して言えば、自分に馴染んで「これしかない!」という音を出してくれます。気に入った物を一生使うためには、元々の物がしっかりしていることと、それを直しメンテナンスしてくれる職人さん・技術者さんの存在が絶対に不可欠なのです。

アメリカに渡る時、僕らは人生で最大級の大掃除をしました。奇しくも断捨離なんて言葉が流行っていた時でもあったので、「これは断捨離だ」と自分に言い聞かせながらどんどんものを捨てました。本当に大事な物は捨てないで倉庫に保管したりアメリカに持って行ったりしましたが、それでも迷うものもたくさんありました。そんな時は思い切って捨ててしまいました。その中にはたくさんの本もありました。僕は本が好きなのですが、そうやって思い切って捨ててしまった本の中には今では手に入らないものもたくさんあります。アルビニのインタビューが載っていたサンレコも売らなきゃよかった!と後悔しています。本は欲しくなったらまた買える、と自分に言い聞かせて捨てたり売ったりしましたが、それは間違いでした。服もたくさん捨てましたが、あ〜あの服があれば、なんて思うこともよくあります。無駄なものは捨てるべきだと思いますが、必要になったらまた買えばいい、というのは違うな、と今は思っています。それに単純に古い品質のものがもう日本では手に入らないのだろうなという気もしています。小学生の頃に使っていた日本製の目覚まし時計はまだ使えています。昔の機械や道具は作りが違うのでしょう。同じ仕組みを真似ただけで安く大量生産したものはすぐ壊れます。そういうものは買い替えることを前提にして作られているでしょうけど、僕は買い替えるより治して死ぬまで使いたいです。

古くていい物は捨てない。壊れていても直して使う。
冒頭の写真はアメリカの有名なビンテージ楽器屋です。大きな店内にはギターやアンプが文字通り山積みになっていました。ホコリをかぶっていたりちゃんと動くかどうかもわからないものもたくさんありましたが、僕にとっては宝の山でした。本当にすごい機材ばかり!日本の古い音響機器などもこれからはすごい価値が出るのでしょう。そのクオリティのものを作る組織的な技術はもう日本にはないでしょう。アメリカにはそういう機材をたくさん集めて直している人もいました。僕は帰国してからは田舎にあった古いステレオなどは絶対に捨てないで!とお願いしています。今家で使っている時計は古い柱時計で100年近く前のものです。全く問題なく動いています。去年は亡くなった祖父の形見の懐中時計を直しました。これも100年くらい前のものだとのことでした。直すのには数万円かかりましたが、直してよかったです。直せる職人のおじいさんもすごい人でした。

僕らの生活はたくさんの安価な大量生産品で埋め尽くされていますが、そんな中でも一生使える質をもったものがたくさんあります。自分が楽器を扱う人間でありアメリカでそんな場所をたくさん見たからもあるのでしょうが、「捨てずに直して一生使うのだ!」というのが僕の人生観のデフォルトになりました。

結局今回もライフスタイル提唱、みたいな文章になってしまいました(笑)
昨日、愛機フェンダーツインリバーヴを修理に出したのでこんなことを書きたくなりました。

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