見出し画像

ひびくことば -新川柳作氏-

希望をもつ 
目の前にどんな壁があっても乗りこえてゆく
役に立つ仕事をしてこそ その日が生きる
生きたいから働く
どこにいても 雑音はきこえる
なげくまい ここは地上だから
人を喜ばせながら 自分も幸になる 賢明な生き方がある
世の中は明るいか暗いか 胸を張り 上を向いて歩けばわかる
かげで大した働きをしている人達がある 
目のある者に見える

エース株式会社 創業者 新川柳作氏


自身が納得するバックを作ろうと奔走しはじめた私は、
金具や部材を探しに、浅草界隈をウロウロしていました。
そんな時、「世界のカバン博物館」という施設を発見しました。
バックを作ろうと動き出した私には、なんてグッドタイミングな施設なんだろうと思い、早速、そこに入ることにしました。

「世界のカバン博物館」は、鞄・バックメーカーの大手である「株式会社エース」さんが運営されている施設で、世界中から集められた歴史あるバックやカバンでが展示されて、「株式会社エース」の歴史が紹介されていました。

この言葉は、その「世界のカバン博物館」の階の上8階にある「新川柳作記念館」に展示されていた、カバンづくりに生涯を捧げた「エース株式会社」の創業者である新川柳作氏が残した言葉の一つです。

「エース株式会社」さんは、ナイロンバックやお手軽キャリーバック等を日本で初めて開発し、売り出した歴史のある大手メーカーさんです。
その創始者である新川柳作氏は、1915年(大正4年)に石川県の足袋と合羽の製造業を営んでいた家に生まれ、16歳で大阪の加藤忠商店(カバン卸業)に入社し、7年余り働いたものの、第二次世界大戦の勃発し、戦時下の経済体制で仕事が激減して、自ら退職を志願し、敗戦後の焦土の中で全てを失いました。しかし、鞄つくりへの強い思いを失うことなく、1940年、大阪でカバン製造卸業を創業され、その後、会社名を「エース株式会社」として、広く社会や鞄業界の為に尽くされました。
「私の人生の大半はカバンに明け暮れた日々だった」と本人がいうように、カバンに明け暮れた92年の生涯を終えられました。


戦前・戦中・戦後を生き抜き、ものづくりの場で戦ってこられた方が、放つ言葉は力強い。
当時は、コロナの感染が増えてきて、緊急事態宣言も出された重苦しい世の中で、この言葉に出会い、とても心に沁みました。

胸をはり上を向けば、どんな世の中もきっと明るい。
「人を喜ばせながら 自分も幸になる賢明な生き方」へ
そんな生き方に、私も少しでも近づけるように、1歩1歩進んでいきたいです。

お近くに行かれた際には、是非お立ち寄ってみてください。拝観無料です。

「世界のカバン博物館」

「新川柳作記念館」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?