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理想の反面教師(後編)

期末テスト初日の朝に呼び出され、「解散」を言い渡されたダンス部の女子高生たち。

元その中の1人だった私が、その後とった行動とは。

(一応以下の記事の後編です。)


解散宣言から一夜明け

期末テスト2日め。二日連続呼び出されることはなく、私はとりあえず目の前のテストに全力で臨んでいました。(世界史が赤点の危機だったような気もする)

これから最後の大会なのに解散だなんて……。
みんなで謝りに行って許してもらおうか……。

今回のヒステリーはちょっと規模大きかったな……。
流石にやりすぎたかも……。

と、曲がりなりにも反省、というか、今後の対策を考えるなどしていたのでしょう。

私以外は。

向こうから解散を言い渡してくれたならもう何もしなくてもダンス部じゃないんだわーい٩( ᐛ )و

当時の素直な感想です。
前回の記事でも書いたように、私はダンス部という集団に、そこに属している自分に、心底うんざりしていました。
解散してくれたならむしろ何もせず部員ではなくなれるから願ったり叶ったりです(にっこり)くらいにはキレてもいました。

だから、テスト最終日の朝に例の”元”顧問の先生からメールが来たときは、
「えーまたなんかきた🤮」
くらいにしか思いませんでした。

先生、ダンスがしたいです……!!

ちなみに、テストは3日間。初日の朝に解散宣言、2日後の朝にまた文字オンリーのメールが届きました。

さて、メールの内容はどんなものだったでしょう。
ヒステリータイプの人間と関わったことのある人なら、想像がつくかもしれません。

ヒント:理想の反面教師

はい、それでは正解です。

今後も本気でダンスが続けたい者は、2日後の放課後までに反省文を書いて体育科教官室まで持参しなさい。

どうでしょう、当たりましたか!?

突然ですが、ボランティアって、誰かに強いられた時点でボランティアではないと思うんですよね。志ないもん。

volunteer:《志願者の意》自主的に社会事業などに参加し、無償の奉仕活動をする人。「ボランティアで日本語を教える」「ボランティア精神」
(goo辞書より)

志願者の意。

「反省」もね、ボランティアと似たようなものではないかと思いまして。
強いられてしたためた反省文は、果たして「本物」か。
某バスケ漫画の名台詞をね、安○先生の方から要求しちゃった感じですね。
(ファンの方がおりましたらごめんなさい)

感動もクソもない。

おっと、口が悪かったですね。失敬。田舎のJKの言うことってことで、多めにみてください。
兎にも角にも、うんざりしていたところに茶番命令が出て、私は完全に呆れてしまいました。開いた口が塞がらないとはこのことです。

生徒が謝罪と懇願に来るのすら待ちきれずに、自分からお達しを出してしまわれたのです。短気にもほどが……。
これはあれですね、超典型的な「もう知らない!」です。
こちらを支配したいが故に、わざと切り捨てるような言動をとって、縋ってくるのを待つやつです。まあ、彼女の場合、待ってすらいませんでしたが。

ただ、この「突き放すフリ」が有効なのは、「突き放された側がそれでも縋らなければいけないほど相手を必要としていること」が条件です。
信仰心やら忠義心などと言うものは、元から持ち合わせてはいません。
「帰れ!」と言われれば、「サヨウナラー」と言って帰る類なのです。
となると、私にとっては、
「自分は何も悪いことしてないのに反省文を書いてまで戻る価値が、この組織にはあるのか」
これが問題だったのです。

思い悩む16歳

締め切り前日の夜、色々と考えました。
部内で”ちょっと浮いてる仲間”だった子とも話しました。

大学受験に途中退部はどのくらい影響するのだろう、とか
辞めた後の体育の授業が気まずいし面倒だなあ、とか
他の部員は素直だから、”ちゃんと”反省文を書いて持っていくんだろうなあ、とか

でももう先生に悪口言った子とは関わりたくないな、とか
仮に戻るとして、何を反省するの?
「部長でもなんでもない一部員が、同級生のスカートの短さを注意しなくてすみませんでした」って書くの?
どうせこのあとは受験勉強するんだから、もう人間関係なんて気にしなくてよくない?

とまあ、一応続ける場合と辞める場合の両方を想定してみました。
それでも、お分かりいただけるように、私の心は完全に退部に傾いていました。(そもそも、「解散」されたので、退部と呼ぶのが適切かも分かりませんが)
自分の気持ちを押し殺して頭をさげ、「続けさせていただく」くらいなら、解散のまま離れよう。

これが私の答えでした。

礼儀として

反省文は書かない。復部(とでも呼べばいいのでしょうか)を望まない、と決めたものの、売り言葉だとわかっているものを馬鹿正直に買って、放置すると言うのも、何やら釈然としません。何より、反省文を持っていかないことで、その後彼女からなんらかのアクションがあることは容易に想像ができました。

そこで私は、私なりにケジメをつけることにしました。
パソコンで退部届を自作して、持って行ったのです。

ちゃんとgoogleで「退部届 書式🔍」と調べ、必要な項目を洗い出し、Wordで作成、印刷。
母親にも事情と私の決断を話し、保護者署名と印鑑も押してもらいました。

退部事由は、「一身上の都合」としました。
あくまでも、「こちらの都合で退部するのですよ、あなたのせいではありませんからね、ご安心を」と言う意思表示のつもりで。

この退部届を、封筒に入れて、反省文の締め切り直前に持参したのです。
神妙な面持ちで、一言「すみませんでした」とだけ言って渡しました。

「あなたも戻ってきたのね!」

そんな風に上機嫌で言いながら封筒を開け、中身を認識した時の彼女の顔ときたら。
虚をつかれたって、こう言う時に言うんだろうな。
なんてことを考えながら、私は彼女の前で普通を装って立っていました。心臓はバクバクと、肋骨にぶつかっているような感じがするのに、頭はやたらと冷静でした。

「あなたと〇〇(浮いてる仲間)以外はみんな復帰します」

こわばった顔のまま、彼女は突き放すようにそう私に告げました。
他のメンバーが続けようとすることは、予想がついていたので、私はそのまま「お世話になりました」と頭をさげて、教官室を出ました。

体の中にずっしりと居座って、私の呼吸を邪魔していた何かが、祓われたような気がして、体がとても軽かったことをよく覚えています。

その高揚も、私個人宛の3通目が来るまででした。

決闘、あるいは袋叩き

今日の放課後、部活を続けることにした他のメンバーとちゃんと部室で話し合いなさい

反省文の代わりに退部届を提出して数日後、こんなメールが元顧問から届いたのです。

話し合うって何を?
「がんばってね」っていえばいいのか?
えーとりあえずめんどくさくて嫌な気持ちになる未来しか見えない。

こんな気持ちでした。ご丁寧に、時間と場所の指定まで。
バックれようか散々悩み、結局行くことにしました。

退部届を出したことも、私からきちんと話をしてはいなかったので。
そもそも、「解散したんだから、戻る戻らないは個人の自由でしょう」と思っていたのです。

部室で私を待っていたのは、戻ることを選んだ10人ひとりひとりからの口撃をただ受けるだけのサンドバックタイムでした。

一人だけ勝手に辞めるなんて無責任
他の人のこと考えなよ
これから最後の大会なのに
「解散」なんて、なんで間に受けてるの
みんな反省文書いて謝ったんだよ

こんな感じ。これのどこが「話し合い」なんだろう。と思いながら、なるべく黙っていました。
反論ならいくらでも思いついては消えていきました。

〇〇も辞めたって言ってたけどな、先生
”他の人”のこと考えない言動で怒られたあなたたちがそれを言うのか
最後の大会への準備もこれからだから大丈夫だよ
それだけが理由じゃないんだよ
それぞれの選択の結果でしょう

これらは、その場ではほとんど言いませんでした。
言い返したところで、彼女たちにはもう言葉が通じないことは明らかだったからです。
自分たちが「正義」だと信じて疑わない人たちには、「逸脱者」の私が何を言っても火に油を注ぐだけ。暴走族辞めるのよりは楽かな、と言うくらい。あ、でも、外傷を残さない分下手したらタチが悪いかも。

どこか他人事のように考えている私がいました。
(部室を出た後で、部活絡みではない友人が来てくれてボロ泣きしました。)

おかげで

そんなこんなで、私は高校2年生の冬休み直前に部活を途中退部しました。
受験勉強の話はまた機会があれば書こうと思います。

ただ、最後にこれだけは書いておきたい。
今の「英語講師ゆずぽん」があるのは、この出来事のおかげです。

どうせ時間ができたのだから、勉強しよう。それなら始めるべきは英語の克服だよな。

みんなより少しだけ早く部活動を引退した私は、反骨精神から英語の勉強を始めたのです。それも、中1の基礎の基礎から。
そこからひたすら英語だけ勉強した結果、その数ヶ月後、高3の夏前の模試の英語は、高1の時の担任の先生に、「カンニングしたなら早く言えよ」と冗談を言われるほどに跳ね上がりました。

大好きな先生が気にかけてくれていた嬉しさも手伝ってか、私はその後英語系の学部に進学し、塾で英語を教えることになるのです。

最後に

同じ言語を操っていようと、”言葉”が通じるとは限らない。
伝わらないこと、わかってもらえないことは、とても苦しい。
これらは、身をもって経験した痛みだからこそ、私の中に深く根付きました。
そして、そのおかげで今の私があります。

この事件は、ずっと私の中で傷や痛みと言ったものでした。

もう少し巧くやることもできただろうに
本当は弱いのに負けん気ばかり強くて、下手くそな生き方だな

こんな風に、どちらかというと社会不適合者の証のように思っていたのです。

ところが、本当につい最近になって、この出来事は、「自分の気持ちを大切にできた」ひとつの成功例でもあったのだ、という解釈が加わりました。

過去の出来事も、記憶も変わらないけれど、
それをどう捉えるのかは、自分で選べるし、後から変えられる。

数年後の自分は、この事件をどう捉えているのか
この記事を読んで何を思うのか

そんなことが、今から楽しみです。

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