強請り屋 静寂のイカロス 27

第27話 内線電話

 部屋に戻ってすぐ、オレは夕月にたずねた。


「チマタって何だ」
「え? チマタ?」


「最初の予言に、夜のチマタの十文字ってあったろ。あれどういう意味だ」
「ああ、あの道俣はたぶん十字路の事。道俣神っていう、ヘカテーみたいな神様が日本神話にも居て」


 オレは天井を見上げた。何だよ、全然まったく完璧にどうでもいい話じゃねえか。何かの切っ掛けになるかと思ったんだが、思い出して損した。何でこう何もかも上手く行かないかね。疫病神でも取り憑いてるのか。まあガキとオカルトは大嫌いなんだが。気を取り直して質問を変える。


「ところで、柴野碧の部屋ってどこだ」
「五階です。この部屋の三つ隣」


 そんな近くに居たのか、千二百万。クソッ。最初に確認しとくんだった。……まあ、この期に及んで、そんな事を言い出したらキリがない。いまは考えをまとめる方が先だ。


「碧が三階の窓から落ちて死んだって事は、誰かが三階に呼び出した訳だ」


 つまり小梅のときと同じだ。だが。


「だが、どうやって呼び出すんだ」


 オレは窓際に腰を下ろしながら、自分のスマホを取り出して見た。バッテリーが切れる寸前のそれは、まだ圏外になっている。電話は使えない。直接ドアをノックしたのなら、三階まで連れて行く手間がかかる。手紙でも出したか。誰が届けるんだよ、馬鹿か。オレが頭をひねくり回していると、夕月は立ち尽くしたまま、自信なさげにこう言った。


「内線じゃないかな」
「内線?」


 その瞬間、オレは思い出した。あのとき感じた、ザラリとした違和感を。そうだ、あのとき夕月はこう言っていたのではなかったか。

――内線電話に予備があれば、持ってくるんですけど

 オレはやっと理解した。あの違和感の正体はこれだ。オレはコイツに引っかかってたんだ。確か事務所の電話ケーブルは、給孤独者会議の道士たちが切り刻んだはず。何故内線電話が使えるのか。


「内線電話なんて、使えないんじゃないのか」


 だが夕月は不思議そうな顔で首を振ると、ポケットに手を入れた。


「これなんですけど」


 手に取って差し出したそれは、小型で細長い筐体に、プッシュボタンと小さな液晶画面が組み込まれていた。思わず声が出た。


「PHSかよ!」


 一般電話としてのPHSのサービスは、すでに終了している。だがビルや工場の中で使う、構内電話としての業務用サービスは継続されているのだ。ただ、PHSにもジャミングは有効なはずだ。なのに何故使える。


「碧はこの内線電話を持っていたのか」


「はい、班長でしたから」


 少し怯えたような目で夕月は答える。


「小梅は」
「小梅さんも、たぶん」


「和馬は」
「和馬叔父様も持ってました」


「他には誰が持ってる」
「私、羽瀬川さん、大松さん、渡兄様、朝陽姉様、くらいかな」


 築根が夕月の隣に立った。


「五味、どう思う」
「ああ、基地局でも調べれば、誰と誰が通話したかくらいわかるんだろうが、いまそれを調べられるヤツがここには居ない」


「PHSを持っている事は、被害者になる条件だろうか」
「ここまでは確かにそうだ。だが、次もそうだとは限らない」


 原樹はおぶっていたジローを静かに下ろすと、築根の隣に立った。


「内線を全部回収すれば、次の被害者は出ないのでは」
「かも知れないな」築根はうなずいた。「だが問題は、あの殻橋が認めるかどうかだ」


「いや、問題はそこじゃねえだろ」


 築根が眉を寄せ、原樹はキョトンとしている。夕月も不思議そうな顔だ。オレは頭を抱えた。


「一番の問題は、いま内線電話を持っているヤツの中に犯人が居るって事だろうがよ」
「あ」


 三人揃って口を開けやがった。まったくコイツらは。


「内線電話を回収なんかしたら、こっちはそこまでわかってるって犯人に教えるようなもんだろう。それでもオレは別に構わんさ。ここから出られるんなら、犯人なんぞ誰でもいい。いまさら金になる訳でもないしな。でもアンタらはそれでいいのかって話だ」


「い、いや、待て。それは良くない」


 築根がオタオタしている。それを見て原樹もアワアワしている。コントか。


「良くはないんだが……じゃあ、どうすればいいんだ」


 築根が考え込む。オレは頭の中にあるものを、口から吐き出した。


「犯人は『三縛り』を続けている。だが、病的なこだわりは感じない。柴野碧は三階の窓から落とされた、それだけだ。犯行は三時に行われなかった。おかげで絞り込みが難しい。三人目も、もう三時には殺されないかも知れない。場所は三階ですらないかも知れない。三人目というだけで、三縛りは成立しているからな」


「何だか事件が起こるたびに選択肢が増えて行く気がする」


 築根が溜息をつく。


「数学的に見れば減ってはいるんだろう。だが感覚的には増えてるよな」


 オレも苦笑する。すると原樹が言った。


「考えすぎなんじゃないか」
「あ?」


 そういう台詞は考えてるヤツが言う事だろう、と言いたいのを堪えた。偉いぞ、オレ。原樹は自信満々に続ける。


「ここは基本に立ち返ってだな、一番怪しいヤツをしょっぴいて追求した方が早いんじゃないか」
「そういうのを岡っ引き根性と言うんだぞ」


 築根ににらまれて、原樹は一転、しゅんと小さくなった。しかし。


「いや、それもアリなのかも知れん」


 オレがそう言った事で、原樹の顔に明るさが差した。


「おい五味」


 築根がにらむ。だが別にオレはふざけてる訳じゃない。


「明らかに怪しいヤツが一人居る。典前朝陽だ。アレを追求すれば、すぐボロが出る可能性はある」
「そ、そうだよな」


 原樹が笑顔になった。このパターンは何回目だ。


「ただし」オレは言った。「さすがにその程度は、あの殻橋邦命でも思いつく。おそらくもうやってるだろう」


 その一言で、原樹は撃沈した。


「あの、結局は動機なんじゃないでしょうか」


 いまの会話を聞いていたのかどうか、夕月が思い詰めた口調で話す。


「犯人がどうして人を殺すのか、それがわかれば、誰が犯人なのかわかる気がします」
「まあ、それは確かにそうなんだが」


 理屈としてそれは正しい。だが実際のところ、犯人の動機を推定するにはヒントが必要だ。どこにそのヒントがあるのか。


「教団に対する恨みとかでしょうか」


 夕月が懸命に考えているのはわかる。少なくとも原樹よりは頭を使ってる。とは言え。


「恨みの線は薄いかも知れんな」


 いまは気を遣ってる場合でもない。違う物は違うと言うしかない。


「どうしてそう思うんですか」
「おまえさんの姉貴が関わってるからさ」


 オレは内ポケットに手を入れた。ダメだ、もう限界だ。これ以上タバコなしで頭を使うのは、いくらなんでもキツい。


「どうしても朝陽姉様が怪しいと言うんですね」


 オレはフィルムを乱暴に破り、箱をこじ開けた。指が思うように動かない。一本引っ張り出して口に咥え、えーっとライター、ライターはどこだ。


「あー、とにかくだな」


 ライターがあった。何で左のポケットになんか入ってるんだ。しかも一発で火が点かない。だが何とか二回目で点いた。タバコの先を火の中に突っ込み、強めに吸い込む。


「……あー、とにかく」


 もう一度同じ事を言って、オレは夕月に視点を合わせた。やっと頭が回った。


「典前朝陽が、一連の殺人事件の実行犯である可能性は低い。まずない。しかし、無関係であるはずがない」
「どうしてですか。予言をしたから?」


「そうだ。朝陽は殺人が行われる事を知っていた。知っていて、それに協力したんだ。もしこの事件の犯人が教団に恨みを持っているのなら、真っ先に朝陽を殺そうとしただろう。だがそうはしなかった。つまり犯人は教団に興味など持っていない可能性がある。それありきの予言だ」


「でも、予言は父様の霊が」
「何のために」


「えっ」


 夕月は呆然とした。


「おまえの親父は、いったい何のために、いったい誰のために予言なんかしたと思う」
「それは」


 そう、それは犯人のため。予言があったから人が殺されたんじゃない。人を殺すために予言を利用したんだ。オレがそう言おうとしたとき。

 ザラリ

 違和感だ。オレはまた違和感を覚えている。今度は何だ。また夕月の言葉か。……違うぞ。逃がすな、この違和感を逃がすな、捕まえるんだ。オレは何かに気付いている。オレの脳みそは何かを理解している。タバコを吸え、頭を回せ。何だ、何なんだ。気付け、いますぐに気付け!

――いったい誰のために

 オレの言葉だ。オレの違和感の原因は、このオレの言葉だ。誰のため? そんなもの、犯人のために決まってるだろう。いや、待てよ。

――メッセージみたいなものかも知れん

 これもオレの言葉だ。もしこの連続殺人がメッセージなら、つまり犯人によって、犯人以外の誰かに、何かを伝えるために仕組まれた犯罪だとしたら。それは誰のためだ? 何のためだ? 典前朝陽のカリスマ性を増すためか。それとも死んだ典前大覚を神格化するためか。違う、そんな訳があるか。

――犯人は教団に興味など持っていない可能性がある

 だったらどういう事だ。何が理由だ。考えろ、考えろ、オレはいったい何を見落としている。


「おい五味! 大丈夫か!」


 突然オレの体は揺さぶられた。至近距離に原樹の顔が揺れている。


「しっかりしろ! 気分でも悪いのか!」
「あー、もう、てめえがしっかりしろよ!」


 腕を振りほどいたオレに、原樹が首を傾げた。


「へ? 何で?」


 ダメだこいつ。

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