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しあわせは雛菜のかたち

実装される前から、ユニットの癖がすごいと噂だったノクチル。

その中でも一番最後に満を持して投下された爆弾

 市 川 雛 菜 


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一見、とても可愛らしくふわふわとした、見た目通りの女の子かな…?と思ってしまったことを後悔しかけるつよつよコミュの数々。カロリーが高すぎて胸やけを起こしてしまったり、プロデュースをしていて「俺はこの子を一体どうすれば良いんだ…」と思ったプロデューサーさんも多い中、私見を書くことによって少しでも、彼女への考えが及ぶ取っ掛りになればと思い拙い文章を綴ろうと思います。


まず、彼女のボイスや自己紹介でも取り上げられている通り彼女は「しあわせ」を何より大事にする女の子です。

自己紹介の方では「雛菜が」と言っていますが、プロデュースしていく中で、自分がしあわせで居ることによって、周りをしあわせにできる。と考えているという事も分かります。

一見、ただひたすらに自分だけの幸せを追求して独りよがりになっているように見えますが、自分が幸せであることによって、他者も幸せにすることが出来るという考えが頭の中にはあるという事が読み取れます。

しかしなぜか不思議なことに、レッスンが上手くいった事やオーディションに受かった事など、他のアイドルであればまず手ごたえを感じて、自分が喜ぶであろう状況で、あろうことか彼女が一番最初に取った行動は、プロデューサーに「嬉しい?」と尋ねることでした。

この時点で完全にスペースキャット顔です。少ない脳のキャパが悲鳴を上げています。え?ちょっと待って…?それは雛菜が思うしあわせではないの…?「雛菜がしあわせであればみんなしあわせ」の中にあるしあわせは一体どこにあるの…?と。

でもここで思考停止していては、せっかくのつよつよシナリオを放棄してしまうことになりかねません。そんな中、少ないキャパでひねり出した結果、1つの考えが頭に浮かびました。しあわせ、と沢山口にするものの本当は彼女は自分にとっての「しあわせ」が何かを知らないんじゃないのかと。

自分に向けられた他者からのしあわせ=自分のしあわせ

になっているのではないかと。

例えば、自分はそこまで興味のなかったジャンルの漫画やゲームでも、憧れの人や好きな人が「好きだ」と言っていたら、いつの間にかそれ自体に好意を持っていることがあると思います。

それと同じで、自分では普通だと思っていた事でも、他者から「上手いね」「今日はよく出来ていたね」と言われると、少し嬉しい気持ちになりますよね。

つまり、自己評価でなく他者からの評価で「しあわせ」か「しあわせ」でないかを決めているというのではないかと、考え付きました。

となると、市川雛菜の中には、誰かの思うしあわせはあっても、市川雛菜本人のしあわせは無いのではないかと。

ここで少し話題から逸れる話になるのですが、765プロには星井美希というアイドルが居ます。彼女もまた「どう?ハニー?喜んでくれる?」と聞いていたり、比較的プロデューサーや他者に喜びの判断を向けているところを目にする気がします。が、あくまでもそれは芸能界の業界知識やその他もろもろにあまり明るくないだけで、無知ゆえの、というか彼女が天才肌である所以のようなところもあるので、正直違和感はありません。

しかし、こと市川雛菜に関してはレッスンやオーディションなど、日常的に行うことが多い場面や何が嬉しいかが想像に難くない場面でも「ほめてくれるから好き」という言葉を放ちます。

また「雛菜、歌はまあまあって感じだけど、ダンスは上手だね~って言われるから楽しい~♡」とも言っています。これもきっと雛菜の中に上手もしくは下手、今日は上手くできた、あまり上手にできなかった、というのはあまりなく「ダンスが上手だねとほめられたので雛菜はダンスが上手」という、他者からの評価=自分の評価となっているように見てとれます。

そして何より一番大変なのは、彼女自身がそれを自覚していないということです。言い換えれば、無意識のうちに自分を他者に預けているという感じでしょうか、一見自分があって、自分のしあわせがそこにあると思ってはいても、雛菜を雛菜たらしめているのは別の誰かとでもいうような。

ここで少し思い当たったのは、ノクチルのユニット紹介にある

「さよなら、透明だった僕たち」


というフレーズ、私は市川雛菜さんに注視していたので、具体的なことは言えませんが、ノクチルのメンバーはそれぞれにどこか「透明」な部分があり、こと彼女においてはそれが自分自身、もしくは自分自身のしあわせ、ということなのかなと考え始めました。

しかし、となるとそんな透明な彼女は今までどうやって自分を作り上げて、自分のしあわせを感じていたのでしょう?個人的には、自分だけでは感じる事のできないしあわせを教えてくれた人達がどこかに居たのではないかと考えています。

ずっと彼女と一緒にいた存在で、幼い頃からのしあわせのかたちを作り上げてきた人達。

彼女の所属するノクチルの3人ではないかと私は考えています。

はじめは、幼馴染でアイドルという設定は他ジャンルでは、関係性が作りやすかったり、分かりやすかったりして割とよくある設定だけど、アイドルマスターシリーズで、血縁関係などはあっても、そういえばそういった設定のアイドルって見ないな…と思っていたので、そういう点ではとても新鮮でした。ただ反対に前述した通り、他ジャンルでは出尽くしてる設定のため、大丈夫かな?と思う反面もあり、最初は「幼馴染設定あんまり刺さらないなー」などと呑気に構えていました。

しかし、改めてそう考えてみると、過去から彼女たちが作り上げてきた関係性そのものが彼女たちの人間性に直結しているのなら、

それはもう「幼なじみ」という設定でしか書けない、見せられないものがあると気づきました。


仲のいいPで

「シャニマスにおいて意味が無いことなんてない」

という言葉が口癖のPが居ますが、まさに今回ばかりはその通りだと納得しています。

そして更に、これからも市川雛菜が市川雛菜であり、市川雛菜のしあわせを感じながらアイドルを続けるためには、ノクチルの皆が必要不可欠だということがよく分かります。

一見とても利己的でわがままなお姫様かと思われた市川雛菜ですが、実際は自分のしあわせが何かを、また自分とは何かを、自分でも気づかないうちに探し続けている不器用な女の子なのではないでしょうか?

プロデューサーも言っていたように、「楽をしたい」のではなく「しあわせ」になりたい。アイドルをする意欲が無いのではなく、しんどいことをしたくないのではなく、本心から「しあわせと思えることだけでいい」つまり、雛菜にしあわせを教えてくれた人達がしあわせで、その人達のそばで、彼女がしあわせでいられればそれでいいと言うことではないのでしょうか。

またこの台詞には続きがあり「………それ以外は、知らなくてもいいの」とも言っています。しかし、WING優勝後には「………ちょっとくらいなら大変なこと、あってもいいよ~?」という心の変化を見せています。

「だって、たぶんそのほうが楽しくてしあわせ~♡が強くなりそうだもん~!」


ノクチルのみんなと、そして283プロのみんなと関わり、みんなから見た雛菜のしあわせだけでなく、透明な「市川雛菜」という存在が、沢山の色に染まって、自分のためだけの「市川雛菜のしあわせ」を見つけて「しあわせ?」と聞くよりも早く雛菜自身の言葉で「雛菜はしあわせだよ」と言ってくれる日を心待ちにしています。

読みづらく、書きなぐりの文章をここまでお読み頂き本当にありがとうございました。

最後に雛菜からの言葉を書いて終わろうと思います。

「ね、プロデューサー

しあわせって何色だと思いますか~?」


透明だからこそ、何色にでもなれる。そんな可能性を教えてくれた市川雛菜さんと、ノクチルのこれからに期待しています。





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