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3ヶ月間、地方で「自分」と「企画」を考えてみた

「なんで鹿児島に来たの?」「薬剤師なの?」「何がやりたいの?」
こんなシンプルな問いにも、なんでだろ?と考えてしまって、うまく答えられない時期が続いていて…今。

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鹿児島の調剤薬局で企画のインターンをしている今、
広告PR業界を目指して就活した半年前、
発達障害の学習支援や小学生向けのWSを企画実施していた3年前、
教育〜広告〜地方と、色々あっちこっちで活動(迷走?)してるものの、
各々の活動の源となる願いは1つで

何に置いても未熟で至らない点ばかりだと鹿児島で痛感してるけど
働くとか、生きるとか、誰のために何をするかとか、そういうのをひっくるめた私のスタンスをここに置いておきたいな、と知り合いとサシで話しているイメージで、今日はnoteを書いてみたよ

何がやりたいの?なんでやりたいの?

「ついやっちゃいたくなる」ようなコミュニケーションや、「らしさ」「こうあるものだ」を違う視点から捉えられる企画を通して、ネガティブな価値観で捉えられている物事と楽しく出逢い直してゆきたい、と思ってるんだ。

嫌だな、退屈だな、とかそんなネガティブな印象を持っている物事と出逢い直しをしたい。その為の企画やアイデアを創れる人になりたいと、ずっとそんなことを思ってるよ

なんで鹿児島の調剤薬局でインターンしてるの?

鹿児島の調剤薬局での企画インターンをしようと思ったきっかけは、
PR業界への就職が決まって、あと半年何しようかー?ってなった時


You must be the change you want to see in the world.
あなたがこの世で見たいと願う変化に、あなた自身がなりなさい。

ってガンジーの言葉に、ああそうだ。と深く頷いたんだよ

単純? …かも。笑
でも、この言葉1つでガラッと思考が変わって行動に移した訳では勿論なくて、沢山の人と話して考えてくる中で、この言葉を受け取った土壌が形成されていたんだろうな

ギャップイヤー中の残りの半月で、実際に自分がみたいと思う変化になれるかもしれないチャレンジをして、そこで実力の至らなさを痛感して、自分の課題と就職先で得られるスキルを紐づけて、どんな作業も何かしらの学びとして体得していきたいと思ったんだ

だから、長期的に集中して関われそうな場所を探して、ネットで調べたり、人づてに紹介してもらったり…その時見つけたのが、今の鹿児島の調剤薬局での企画インターンだったんだ

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「調剤薬局を」地域の交流拠点にしたい とか
「調剤薬局」での「待ち時間」をワクワクできるアイデア とか、
「」の言葉は、私にとってはネガティブというかもはや印象が無い・退屈なんだけど、
それらを処方箋の有る無しに関係なく人が来る場にしたい、待ち時間を楽しく過ごして欲しいっていう願いを持っている薬局で、面白そうと思ったんだ

処方箋がなくても来たくなる、待ち時間をワクワク過ごす企画やアイデアを実現できたら、退屈なイメージを持っていた薬局や待ち時間との出逢い直しができることに凄く好奇心を覚えた半面、これまでほとんど接点の無い分野で、どんなことできるんだろ?みたいな先の見えない、、これも好奇心か。笑

とにかく根底にあるのは、ネガティブな価値観で捉えられている物事と楽しく出逢い直してゆくこと、それができるような企画やアイデアを形にできる人になることが私の目標で、それがたまたま薬局で、たまたま鹿児島だった。

そんなこんなで、先人の言葉をあたかも自分の人生へのメッセージかのように受け取った、大きな勘違いを最後の一押しに、この場にいるのかもな

200114_KYT様_みなみの薬局紹介

ネガティブな物事との出逢い直し、って何?

嫌だな、退屈だな、とかそんなネガティブな価値観で捉えられている物事と楽しく出逢い直してゆくこと、それができる人生を自分は歩みたいと考えているよ

この考えの根底にあるのは、高3の冬にあった先生との関係性の変化だね。

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(高校の頃の写真探したら、意味深な写真が出てきた。笑)

高校1、2年生の頃、先生に対して少し反抗気味の生徒で、よく怒られていたんだよ。私の態度も良くなっかったけど、反抗の態度をみせては叱られてのやりとりの2年間。
でも受験期、放課後学校で自習するようになって、1人で解けない問題を聞く為に職員室に毎日通うようになった時だ、めっちゃ仲良くなった。

その人は(口うるさい)英語の先生だったんだけど、「英語の先生」なんて、その人のほんの一部分で、「奥さんの写真を机に飾っている夫」の一面「ツーリングが趣味の男子」な一面とか、話す中で今まで見ていた一面と違うところを見つけて、なんかね変わったんだ自分の中でその人の捉え方が。

それで、勿体無いことしてたな〜、って後悔したんだよな。もっと早く知りたかったなって

物事には多面性がある。自分が苦手だなと思ってみてるその一面も真実だけど、質問一つ変えていたら、自分との接点を何かしら見つけることができるかもしれないことに、すごく可能性を感じている。

Radwinpsの野田さんも歌ってた、
「どんだけ頑張ってみたところで好きにはなれない人がいて、けどその人もきっとどっかの誰かにとってかけがいのない人で」
この誰かは、その人のどんな一面を知ってるのかなって思うよ

そんなこんなで、自分が悲観的に捉えている物事に対しては、想像力を巡らして、自分から関わろうとする力に変える自分で在りたいな、と考えてる。いつもするのは難しいけど。。

「ついやっちゃいたくなる」コミュニケーションや、「らしさ」を違う視点から捉えられる企画、って何?

学生時代、発達障害をもつ子どもの授業づくりと先生をしていた時だな

小学1~6年生の国算の授業を担当していたのだけど、落ち着いて座ることが苦手な子、誤答すると癇癪を起こす間違えることが苦手な子、一人一人少しずつ違った困りごとを持っていているから、プリントやってねーでは簡単に取り組んでくれず。

1つ1つ授業の準備しても、先生の授業つまんないって言われて(笑)めっちゃ落ち込んだけど、自分の授業スタイルを振り返ったらそりゃそう思うよね な内容で。その時から、うまく取り組んでもらう、やってもらう、ってよりか、どうしたら彼らが自分から手を伸ばして、やりたい!って言いたくなるかな、って視点で授業をできないか考えるようになったんだ

それで、ゲームの〇〇クエストみたいに学習の進捗に合わせて武器をゲットして、レベルアップして、気持ち悪いエイリアンを倒して(笑)っていう、ゲームのノウハウを教育に応用するゲーミフィケーションを勉強していたんだ

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(ちょっと脱線)上のは単純な例だけど、フィードバックがすぐ返ってくる・選択肢がある・ルールが明確…とか細分化された要素もあって。ゲームはゲームだから楽しいんじゃなくて、そういった要素の構成があって初めて、面白いゲームができているんだ、面白いよね。

教育的に外発的動機付けはどうなのか…てことも考えなければいけないけど、自分の中で大事なキーワードは、「〜しなさい」「これが大切なんです」ってストレートに伝えることも大事だけど、それだけだと人は動かない。どうしたらその人達がワクワクしたり、ついやっちゃいたくなるのかを考えて、自然とその人たちが動き出しちゃう方がいいかなと思うようになったな

あとは、その人が実際に抱えている障害とか病気を治すことはできない。けど、「発達障害だから、〇〇ができない」みたいに、受け手の振る舞いや視点から生まれている課題に対しては、捉え方を変えて受け入れることができれば、課題が課題じゃ無くなる時を生み出すことができるだろうなと思ったな

勉強にゲームのノウハウを使って受け手の姿勢を変えることで、その子の勉強ができないという困りごとを解決できた(一瞬かもしれないけど)ことで、社会受容側の捉え方を変えることで解決できるもの、としてアプローチできないかなって思ってるんだ

そのテーマの当事者が持つ課題を課題としてではない形で受け入れ、「こういう見方があってもいいかもしれない」と笑いながらイメージを変えていくことができる企画を生み出す。そんなことができたらいいな。そういうことを考えていきたいと思っているんだ

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(私が一番すきな企画、小国さんの「注文を間違える料理店」)

これからどうしようかな…

そんなふうに考えて、鹿児島に来ているし、
とあるテーマと社会の接点を見つけ出す力、課題設定力とか、それらを持って全体のコンセプトを描く力を身につけるには、広告PR業界・特にプランナーとしての素養が必要だと思って、プランナー志望でPR会社に就職予定で

でもさ、本当に4月からそこでいいのかなって思うよ。
それはさ、鹿児島の調剤薬局っていう現場でやってみて、何を持っていい企画、いいアイデアとするか、新しい視点を獲得しているからなんだ

いい企画は、全体として大きなコンセプトを描くけど、現場の人(当事者)が自分から動き出せるステップを提示できているか、実際に機能しているかってことなんじゃないかなって思ったり。当事者の熱量があってはじめて周りに伝播していくもので、どうしてもプランナーは外から来た人で、伝えられるもの、込められる想いには限度があるなと思うんだ。当事者が主人公になれる、とも言い換えられるかな。どんなアプローチがあるのかまだまだ勉強してみたいな

いいアイデアは、1人の天才プランナーが出すものよりも、人と人との話の中で、(そのテーマの当事者がいることも重要かも)生まれるアイデアの方が当事者がプレイヤーとなって熱狂して、最初は小さくても継続性が生まれて、結果的に拡がるんじゃないかなと思ったり、でも、うーん

そしたら必要なのは、圧倒的に当事者に会いに行くこと、その人の話を聞くこと、その言葉の裏にある葛藤とか本当はこうなったらいいなっていう願いを汲み取ること、それができるような関係性構築力と、彼らが思ったことを発言できるという安心感の担保をつくれること。

そして、企画の実行においては、現場や当事者の人とwhyを共有できていることも大事だと思うんだ。今できていないから、一層そう思う

とか考えていったら、ね。どうなんだろうな
とか書きながら、今全くできていないことばっかりで、とほほ。。

だし、鹿児島とか地方での取り組みばかりが目に触れて考えているから、企画の視点も偏ってるかもな。いい企画いいアイデアっていろんな視点で考えられるだろうに、その視点がないな。となると、PR業界で勉強することも大事だね。

当事者の声を聞くというスタンスで在りながら、クライアントのブランド認知度やお金っていったリソースを使って企画だってできるかもしれないよね。でも全て自分が納得した状態で働くなんて、どこ行っても無理だから、そういうことと折り合いをつけて働いていくのかな。

そんな感じなのです・・
でも、悩みが前進してるような気がして、ちょっと楽しい。

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