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虎に翼 第128回 わからないことは考え続けるが程々に。

物語の終わりが近い。最初に敷かれた幾つかの盤石が古びていい風情になってきて、あとはもう、いつの間にか周辺に生い茂った植物の葉擦れや匂いを楽しむだけ。いつまでも終わることのない物語に憧れるフェーズもとっくに過ぎ去り、無念が残ってもそれはそれ、今はもうわずかに気怠いだけという充足感と、それでも次の世代へ旅人の知恵を引き継いだ後の「旅立ち」の気配が立ちこめている。

そんなふうに人生の終わりを思い描くことができれば、きっと幸せだな。最高裁大法廷での判決が出る日。

裁判長が「原判決を破棄する」「尊属殺に関する刑法二〇〇条は普通殺に関する刑法一九九条の法定刑に比べ、著しく差別的であり、憲法一四条一項に反し、無効である」と判決主文を読み上げる。

もう一つの場面が並行する。法律事務所では美位子が寅子に「執行猶予がついた上で自分が社会に戻って自由に生きること」を、それでいいのかと確認する。なぜ人を殺してはいけないのか、という美佐江と美雪、親子からの質問を反転させた問いといってもいい。人を殺した自分は服役した方が「気が楽」なのではないか、と。

何かしらの罪を償いたいと思うことは、あなたの尊厳をすべて奪って何度もあなたの心を殺してきた相手を肯定してしまいかねない。あなたができることは、生きて、できる限りの幸せを感じ続けることよ。

寅子から美位子への言葉

上手いなあ、と私が思うのは、この脚本が令和の視聴者にフィットする言葉遣いとヒロイン寅子の相当に先駆的な考え方に則って書かれていながらも、昭和40年代という時代を生きた日本人の世界観をぎりぎりはみ出すことなく、それもたぶん意図した上で「納まっている」点です。

当時の寅子や彼女の部下や弟の世代の多くは、学生時代および社会人になってすぐの頃、貪欲に(食費やお茶代を削ってでも)本を買っては読みあさっていた。英米文学以上に、ドイツやロシア文学……まあ、何を読んだかは人によるかもしれません。が、みんなが「新しい文学」として好んだものが当時の若者たちの「思想のベース」になっていた面もある。全員が、なんて言わない。もの言う人たちは、くらいの感じ。

今よりもどっしり重厚で、そのぶん、影響された読者がもの言うときの語り口も流暢というよりは無骨で、あまり抽象度も高くしない。朋一が熱く意見を語ると同世代はしらけたし、寅子が「寄り添う」というと、近い世代の論客は「そんな曖昧な方針」と突いてくる。

だからこそ、その後の法制審議会の「形骸化した議論はしてもしょうがない」と寅子が言ってからの進行が、いきなりみんなで「愛~」と歌い出しそうな、少しナンセンスな流れになってしまって、そういう「遊び」は、フィクション・イン・フィクションというか。すでにドラマとして言うべきことは言ってしまったからと、まるでクドカンの『不適切にも程がある』みたいな流れだと私は思ってしまったのだけれど。

そして、ゆっくりとした足どりで長官室へ戻ってきた桂場が板チョコを机の引き出しから取りだして味わう。あの、少し震えて覚束ない手がすごかったな。小林薫(穂高先生)の退場場面に匹敵する強烈なオーラだった。先生がお元気な頃であれば、竹もとの団子を差し入れてくれたであろう。チョコレートはもちろん、机の左奥の壁に架かっているはずの絵にちなんでの花村へのオマージュなのか。

個人的には引き出しからうっとりとチョコレートを取り出すところで、『クローザー』のブレンダを思い出して、うわあ……と声が洩れてしまった。ははは。

明日は優未とのやりとりがどうなるか。
美位子に「二人は失敗なんかしてない」と力説したとき、ひさびさの優未がスンッとなる気配があったから。

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