ラジオの時間。

わたしは、オードリーのラジオを聴くことがある。

ブレイク当初は様々なラジオを持っていたり、出演していたりしていて、

社会人になりたてだったわたしは、その全てを通勤時間に聴いていた。

今はオールナイトニッポンがメインなのだろうか。

最近、以前ほど聴くことはなくなったので分からないが。


オードリーのラジオの何がいいのか。

部室でしゃべっている学生感がたまらないのだ。

もう40も過ぎた、いいおじさん達なのに。

くだらないこと。

でも、日々感じている、ちょっとした?怒りだとか。

なんの中身もない、とりとめもない話だとか。


TVでは冷静な印象を受ける若林さんが、

人見知りで、日頃表には出さない、

本当に、ささいな、

けれど、本質をついた怒りをぶちまけていたり、

春日さんが、いい意味でも悪い意味でも、

あのままの人物像だったり。


脚色はある。

分かっているが、

ただ、ラジオを10年以上、それも時々思い出したかのように聴いたときに、

ひっかかることがあった。

若林さんのお父様のご逝去ネタについてだ。

「お隠れになった」

「板子さんに親父の霊を降ろしてもらった」

ネタにするには重いのに、

だけど一時、執拗にネタにしていた。

なんとなくオードリーらしくなくて、

違和感だった。


さて、時は流れ、

最近になってだが、

わたしは若林さんの著書を読んだ。

というのも、旅行本が読みたくなり、

ああ、そういえば、キューバの本を書いたとか、

以前ラジオで聴いたなと、ふと思い出したのだ。


旅を綴った本として、大変面白かった。

まず、そこは間違いないので記しておく。


そして、わたしの違和感を解くことも同時に記されていた。

彼は、父の死をきちんと悲しみたかった。

けれど、日本ではできなかった。

だから、自分のことを誰も知らない、

亡き父が行きたいと言っていたキューバで、

悲しみを受け入れていた。


わたしは、今までの違和感が、

ふっと解けたのと同時に、

今のわたしが抱えていた悩みに対するピースが手に入った気がした。


彼はもちろん仕事なので、

脚色されたものを我々に魅せてくれている。

だが、そこにはバックボーンがあって、

それが垣間見えて、そこにある人間性が分かるから、

たぶん、ラジオのリスナー達、リトルトゥースは、

10年以上もついていっている。

彼は小説も真っ青な彼自身のドラマを、

我々に提供してくれているのだ。

あんな、TVで能面みたいな顔をすることがある、

そんな男がである。


人というのは、

本当に複雑だ。

少し立ち入ると、

そこには小説も真っ青なドラマがあって。

「わたしは普通の人生を生きています」

という顔をしている人ほど。

普通ではなかったりする。

そして、それは本人は気づかない。

なぜならば、それが本人にとっては日常であり、

それこそ普通だからだ。

・・・そう、わたし自身もそうなのだ。


その普通を、外から見たときに、

人は、他人を容易く批判する。

あんな態度をとるのはおかしい。

あの言い方はない。

不謹慎だ。


わたしは、それをなんとかしたいのだ。

少し話せば、

いや違う、

少し心を開いて本音を引き出せば、

そうそう、悪い人はいない。

一部分は間違えていて、一部分は正解で、

一部分は素晴らしいのだ。

なぜ、そのような言い方になるのか。

なぜ、そのような態度をとるのか。

少しだけページをめくれば、

バックボーンが分かれば、

大抵理解できるのだ。


そして、不思議なことに多くの人は

実際のところ理解されたがっているのではないか。

・・・わたしがそうであったように。


わたしはもっと色々な人、

特に自分の周りの身近な人から、理解していきたい。

だって、その方が世界が変わっていくのが分かるから。


だけど、同時に、それをするのは実のところ怖い。

だって、ページをめくってもめくっても、

やばかったらどうしよう、とか。

人見知りであればあるほど、

本心の前に壁をつくるので、

冷静な拒絶があったりして、

拒絶されたときに、

わたしのように、最近やっと、心に小さな盾を装備できた奴にとって、

それは結構なダメージだったりする。

・・・でも、わたしも拒絶しまくりだったので、文句は言えないのだが。


最近の悩み。

昇進意欲のある後輩がいる。

でも、人の上に立つということに必要なことが分かっていない。

上にはそれを見透かされているが、気づいていない。

けれど、しかしながら、

その後輩が昇進して目指すゴールは、

間違っていないのだ。


わたしは、どうアプローチをすべきなのか。

どう、フォローすれば、

後輩のためにも、組織のためにもなるのか。


やっかいなおせっかい。

放っておいてもなるようになる。

わたしが介入すべきではない可能性の方が高いかもしれない。


だけれども、

後輩が後輩自身がおかれている状況に気づき、

そして周囲も彼への認識を正しいものにしたとき、

世界が変わるのではないだろうか。


あの能面のような顔をした若林さんが、

実はファザコンで、とても熱い漢であるという、

そんな素敵な事実と同じように。


わたしにそのトリガーがひけるのか。

どのピースを埋めればいいのか。

わたしは黒子としてどう立ち回るべきなのか。


そんなことで悩んでいる3連休。

一緒にいる主人が渋い顔をするのも、頷けるのである。

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