【自分と向き合う編】誰かやっててくれたら、自分もやれちゃうかもしれない

自信がみつけられない。

自信って何。

そんな袋小路に入ったりしながらも、

わたしの、内面にある箱から感情を一つずつ取り出す作業は続く。

取り出す度、謎が生まれ、どうしようかとも思ったが、

希望も見えてきていた。

例の恨みのこもった目をした少女の動向が変わってきていたのだ。

まず、あの地下の部屋に窓がついた。

少し、明るくなったその部屋で、彼女は本を読むようになっていた。

わたしは、この少女に会いに行く行為の中で、

自分は頭がおかしくなったんじゃないのか、

妄想なんじゃないの?いや、妄想だよね!

病んでるやん、どうしよう・・・

などと思ったりはしていたが、

石田ゆり子さんのエッセイを読んでいたときに、

自身の中の少女が笑っているか確認している、

と書いてあったので、その不安は払拭された。

誰かがやっているなら、それも、

素敵な方がなさっているなら、

わたしがやってても問題はないよね?と。

誰もやっていなかったらどうしよう、

という不安を持つことが多い。

でも、自分がそう思っていただけで、

本や、ブログを読むと意外と同じことをすでになさっている方もいて。

実施されているのを知ると、あかん、早くわたしもやらなくっちゃ!

と、今度は焦りだす。現金なものだ(笑)

それはともかく、結局のところ、

自分の認識を広げないと、世界は広がらないという結論に行きつく。

だから、あの人素敵だな、と思う人の本を読むようになった。

自分が素敵だと思う人の考えが自分と一致していることをみつけると、

結構な自信になるからだ。

わたしは大丈夫だ、と。

背中を押してもらえているイメージというのが近い。

それと同時に、わたしはあることを試すことにした。

それは、他者に対して、自分の過去を話してみることだった。

異動先の店舗は、自分より年配の方に囲まれた場所だった。

今まで年下や同年代が多く、自分がしっかりしなければ、と思っていたが、

ここにきて初めて、安心感のある職場に行き着いた。

子育て中の方もたくさん居た。

だから、空き時間に、

今まで母親から話すことを禁止されていた、

わたしの過ごした子供時代について、

聞いてもらうことにしたのだった。

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