【自分と向き合う編】もしかして、こんな感じで自殺してしまった人もいるのかもしれない その7
お姉さまの言葉に、可愛げのないわたしは、すぐにこう思っていた。
いやいや、貴女は何かしらあって内地から石垣島に来たかもしれないけど。
わたしは、そんな逃げに走るような女じゃないよ、と。
本当に失礼な奴である。
が、ここには本当にあったことしか書かないと決めているので、包み隠さず書いておく。
しかし、わたしよりも人生経験の豊富そうな、このお姉さまは、
きっとそんなわたしを、お見通しだったのだろう。
ふっと笑いながら、続けた。
「まぁ、無理にとは言わないわ。ゆずさんの人生だから。ただ、そういう選択肢があることを知っていてほしいし、これからも忘れないでほしい。」
「目の前の世界が全てではないと、知っておいてね。」
この言葉は、今でも鮮明に覚えている。
そして、この言葉こそが、視野を広げなければいけないと、
思うきっかけの一つであったのも確かだった。
当時のわたしは、今はましにはなった、というかそういうアンテナを取り外す作業に現在進行形でいそしんでいるが、
人の話を正面から受け止めることが全くできなかった。
常に裏を探る癖があり。
このお姉さまも、エステを受ける人で、傷心している人、全員に似たようなことを言っているに違いないと、そういう受け止め方も他方でしていた。
だが、今なら分かる。
違う。
たぶん、あんな事はわたしだから言ってくれたのだ。
わたしが相手だから、言ってくれたのだと。
最近も上司に、
心の壁は取り払った方がいい
と言われた。
前なら、絶対に響かなかった言葉だが、
今はとても響いた。
なぜ前は響かなかったのか。
そもそも壁も何も。
自分の心は箱に放り込まれて、亡きものにされていたので。
社会で生きるために、仕方なく生み出したシナリオを片手に生きていただけで。
守るべき心も、自尊心も何も。
感知できる状態ではなかった。
なので、恐らく、当時のわたしにかける言葉があるとすれば、
「もう、演じなくていいよ」
だったのだろうか。
ただ、その場合、
「演じなければ、どうやって存在したらいいの?」
と、回答が返ってきそうではあるが(笑)
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