「断る」≠「わがまま」

昨日、とある話をきいて、非常に耳が痛かったので、
自戒も込めて書留めておくことにした。


その、とある話について。

あるところにお針子さんがいました。

大変、上手なお針子さんで、教えをこう生徒もいるほど。

生徒のうちの一人が、良かれと思って、

お針子さんにお金持ちの服を縫う仕事を紹介しました。

お針子さんは仕事を受けました。

しかし、仕事を紹介した生徒に言うのです。

わたしはこんな縫いにくい生地を縫いたくなかった。

こんな複雑な縫い方、どれだけ大変か。

あんたが生地をもってくるから悪いのだと。

言われた生徒は思いました。

それなら最初から仕事を受けるなと。

プロなんだから一回受けた仕事は文句を言わずにやれと。

良かれと思って高額の仕事を持ってきたのに。

もう二度と紹介しないと。


そんな話だ。

まず、この話を分析してみよう。

お針子さんから見た風景。
・そもそも仕事をとってきて欲しいなどと頼んでいない。
・自分の技術はお金持ちの服を縫うに値するのか?
・なぜ自分がこんな大変な責任のある仕事をやらなければならいないのか。
・わたしはもっと気楽にお針子をしていたいのだ!

生徒から見た風景。
・チャンスを持ってきたのに、なんで文句を言われないといけないのか。
・文句を言うぐらいなら最初から受けるな。
・なんでわたしのせいと言われないといけないのか。

これは生徒さんの方から聞いた話だった。
生徒さんは大変ご立腹だった。
別に誰がいい悪いの話ではない。
多分、単純に価値観の違いだと思う。

わたしはお針子さんの気持ちの方がよく分かる。
自分のペースで仕事がしたいのに乱された気になったんだと思う。
ただ、話を持ってきた生徒さんの方からすれば、
嫌なら「断れ」なのである。

ここに「断る勇気」の話がでてくるわけだ。
ちなみに、わたしは断れない人間だ。
多分、お針子さんもそうなのだろう。

ただ、耳の痛い話でもある。
チャンスが来ているのに文句を言うというのは、
見える方向が変われば、傲慢でもある。

でも、お針子さんは傲慢ではない。
きっと謙虚な人なのだ。
自分ごときが、とか、自分なんて、と思っているに違いない。
ただ、過剰な卑下は、裏返し、つまり傲慢で無責任、
そんな風に周りから受け止められることを知らないのだ。

「断る」ことは、
自分のスタンスというか、
ポジションを明確にするという行動。
そう捉えた方がいいのかもしれない。

とかく、幼少から「断る」=「わがまま」と
そういう風に育てられている人もいると思う。
わたしはそうだった。

だが、大人になって、
自分のポジションや考えを明確にすることは、
相手にいらぬ気遣いや、いらぬストレスを与えないという意味において、
大変重要ではないだろうか。

無駄な忖度なお見合いを防ぐ効果があるのでは、とわたしは思う。

さて、この話をうけて。
わたしも嫌なら断る勇気を持つことにする。
そして断らなかったのなら、
積極的な心持でいようとおもう。
わたしなんて、とは思わず。
わたしだからできるんだ、と。

そうすれば、わたし自身も無駄なストレスから解放されるに違いない。

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