見出し画像

悪の轍を辿る。

僕の前に「悪」(とりあえず彼と呼ぼう)がいる。

彼の後ろには途切れのない足跡、すなわち轍(わだち)が延びている。
どこまで延びているかというと、彼が生まれた瞬間まで。

僕は「悪」の轍に沿って歩く。そして、轍とその周りの全てを可能なかぎり観たい・知りたいと欲する。

彼の歩き方は?軽やかか?慎重か?迷いないか?気だるげか?
彼がどんな道を歩んだか?砂利道か?コンクリートか?積雪の上か?
彼がどんな場所を歩んだか?都会か?暑いのか?人は多いのか?
彼はその道筋で何と出逢ったか?性別は?性格は?そもそも人間か?

轍は大抵最初は、すなわち、僕が轍を辿り始めた時には、はっきりと刻まれた当時の形を維持しており、その周囲の全ても鮮明である。
しかし、過去へ過去へと進むほど、轍は風化し、その周囲のほとんどは漠然になってゆく。それでも、ほんの少しだが、判別できるものが残っている。
僕は、それを観ないといけない。それこそが彼を「悪」たらしめたモノかもしれないからだ。あらゆるモノの中でも、「悪」の痕跡はそう簡単に消えないらしい。

痕跡を観るのは苦しい。観るだけでも苦しい。
彼の苦しみはいかほどだったのだろうか、と思うのも苦しい。
しかし、目を背けることはしない。僕は観ることを決めたからだ。

痕跡の観察を何十回としたのち、僕は轍の終わりに、「悪」の始まりにたどり着く。
そこには「光」がある。僕は驚かない、これは常だ。「悪」の轍を辿るたびに最後は「光」を見つける。轍の終わりに「闇」を見ることはあるのだろうか?僕には分からない

とにかく僕は「光」を見つめる。そして涙を流す。

僕はまた「悪」の轍を辿る。巡礼は終わらない。僕が死ぬか、この世界から「悪」が無くなるまで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?