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スーパースターの隣

「スーパースターになりたい」
小学三年生の春、私の愛した人はこの口癖を捨てた。拾い上げたのはちょっとした出来心だったのだろうか。

「あきちゃん、俺ね、スーパースターにはなれないみたい」
「へえ、そうなんだ」
彼が眉毛を目一杯下げて呟いた事実には結構前から気付いていたけれど、夢を語る時の笑顔が好きだから黙っていた。ついに、現実と向き合ってしまったらしい。

「ゆうちゃん、あきらめちゃうの」
「うん、だってなれないんだもん」
無邪気な夢を追いかける姿は年下のようで微笑ましかったのに、寂しそうな笑みはどこか大人びていて、年上のようにも見えた。
「ふうん」
拗ねていたのは、多分私の方だ。置いていかれたのも、きっとこの時点で。


同世代と比べれば線は細い、それでも私よりは大きい背中が、大嫌いで。目が離せなかった。

「やっぱりスーパースターにはならないんだね」
「いつの話だよ」
服を畳んでいた彼が苦笑いで振り向いた。手には赤のジーンズ。相変わらず派手な趣味。
「懐かしいよね」
「何年前」
「えっと、十年ぐらい」
「うわ、めっちゃ前だな」
こんなに長い時間、隣に立てていたのは奇跡だったのかな。
「ゆうちゃん、」
「辞めろよ」
懐かしい呼び名を拾い上げてもつれない対応。もうあと一日しか一緒にいれないのにそれ?
「こんな生意気になっちゃって」
「何様だよ」
「千秋様」
「うるせえ」
雪は私が年上面をするとすぐに食いついてくる。全くもって生意気だ。
「雪は、寂しくないの?」
「いきなり何」
「だって十年以上、一緒にいたのに」
あと一日で、海を挟んで離ればなれ。
「言わせないで。生き別れるわけじゃないんだし」
「でも、」
パリってどこよ。いや分かる、地球儀で場所は分かる。でも、雪のいるパリなんて知らないよ。
「千秋、拗ねるなよ今更」
「拗ねてない」

親の「ちいちゃん」呼びに対して幼い頃は「あきちゃん」、今は名前で呼んでくる雪。特別感があって好きだったのに、もう毎日のように名前で呼ばれることもないのだ。

「二年の辛抱だよ。連絡もちゃんとするから」
ふに、と頬をつつかれた。その指を握り睨み付ける。
「嘘だよ。雪は、二年じゃ帰ってこない」
私の大切な大切な雪は、やっと掴んだ大きなチャンスを無駄にするほど馬鹿じゃない。
「......バレてた?」
嘘つけない所好きだけどさ、ちょっとは誤魔化してよ。どうせ連絡もしてくれないんでしょう?
「あの雪が期限付きの留学なんかで満足するわけない」
「良く分かってんじゃん」
「何年一緒にいたと思ってるの」

そんなに嬉しそうに、笑わないで。

同じような境遇で同じように育ってきたはずなのに、雪はファッションというアイデンティティを見つけてしまった。そこからの行動はやけに早くて半年前、雪は高校卒業と同時にパリへ留学することを告げた。その頃は実感も湧かず、手の届かない所へ行ってしまうんだなあとぼんやり思った覚えがある。いつの間にか大人になっていた表情には、気づかない振りをして。

隣であどけない笑顔を浮かべていた年下のような雪はもういない。いつからいなかったんだろう。

「ずっと、」
ずっと、スーパースターでも追いかけてれば良かったのにね。

「雪、好きだよ」
そうしたら、ずっと隣にいれた?

雪は困ったように笑っていた。小さい頃は同じだった背丈も今は余裕で彼の方が高いし、首や腕の太さも声の低さも力も何もかも、全然違う。

「私達、昔は一緒だったのに」
「違う。昔から違ったんだよ、俺達は」
雪は寂しそうに笑った。その表情も大人びていて好きになれない。いつから大人だったの?いつから私は雪を見上げるようになった?
「なんでそんなこと言うの」
「うーん......だって、違うじゃん。分かるだろ?」
「分かんないよ!全然、分かんない」
嘘だよ分かってるよ。何年一緒にいたと思ってるの。
「ごめんね」
こんな私、わざわざ離れなくたって好きじゃないよね。
「千秋は悪くない。俺が全部悪いから」
「そんなこと、」
「あるでしょ?」
覗きこんできた瞳は酷く優しかった。

〝もし、バレたら。全部俺のせいにして。それぐらいの責任はとらせて〟
〝......責任、って?〟
〝千秋を変えちゃった、責任だよ〟

変えられてなんかない、そう言ったのに雪は自分が悪いと言って聞かなかった。幼い頃の私にこの感情は無かったのだと、強く言い張った。
それがどれだけ寂しかったか知らない癖に。一人で〝責任〟をとっちゃうんだね。

「見送り、来なくて良いから」
「.....うん」
「元気でね」
「......あいしてる」
「......俺も」


スーパースターになれたら、全部思い通りになったのかな?


そう静かに笑った彼は私より何十倍も大人だった。引き攣った笑顔さえ返せない私に、元から勝ち目はなかったのだろう。


年上のような、年下のような私の愛する人は、独り大きな罪を背負い旅立った。

「幸せに、なってね」

血を分けた、私だけのスーパースター。

最近は呪術廻戦にはまっています