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意識低くない系大学生の休学日記:12(2022年2月5日)

いつも通り、カーテン閉めっぱなしの暗い部屋でこの日記を書いている。

今日は短く書くことにする。レポートががが


閑話休題。


私の日常の話。

最近はよく「生活」を見る。日記を書き始めた影響だったり、創作を始めた結果だろう。

「生活」というのは「人間の営み」とかそういう意味だ。絶景とかではなくて、日常にありふれた風景。そういうもの。

数年前の私と言えば、「生活」に全く興味が湧かなかった。だから身近な景色にはほとんど興味を持たなかったように思う。

見慣れた景色といえば、狭い部屋とホワイトボード。それと自室くらいのものだ。それ以外の世界なんてどうでもよかった。

でも、それって大きく矛盾してない?

私は「生活」していて、そこに生きているはずで。それでいて、私はそういう「生活」を描いたフィクションが好きで。

だったら、手を伸ばせば掴める身近な「生活」に手を出しても良かったはずなのに。興味を持たなかった。

そういう思いと実態。そこには矛盾がある気がしていた。

どう説明をつければいいのか、未だにわからずにいる。

これだけじゃない。

私は矛盾を孕みながら生きている。思いと行動、理性と本能、本音と建前。昔はそういうものに苦しめられていた。

ただ最近は、それを楽観的に捉えられるようになった気がする。というより楽しんでいる節がある。

相反する感情や思考を目の当たりにすると、人間だなぁと思う。

単なる開き直りだろうか?それとも、矛盾する気持ちに整理をつけたいという人間のシステムが、そんな思考や感情を生成したのか?

うーん、わからない。考える端から、泡みたいに消えていく。

そもそも矛盾という言葉自体に囚われているような気もする。

矛盾という言葉は二項対立的だ。矛と盾。

人間の心は矛と盾で因数分解できるか?


閑話休題。


今日はこれで終わり。

読み直してみると酷い内容だ。ロジックも言葉も洗練されていない。僕の幼児性が表象されているのみだ。

あと数日もすれば課題から解放される。

それまでどうか、

世界が平和でありますように。

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