見出し画像

【現実は夢である】オーストラリアの先住民アボリジニの考え方


植物とは、種子が見た夢である。


アボリジニの独自の世界観、宗教観は「dream time(夢の時代)」と呼ばれる。
神話や伝説の中に語られるアボリジニの精神世界、独自の宇宙観は彼らのアイデンティティーそのものになっている。

dream timeとは、彼らにとって天地創造の時代のことを指す。
宇宙が創造され、大地が生まれ、動植物が独自の形になった遥か昔、全能の神や精霊たちが活躍する時代を「dream time」(夢の時代)と言うのである。

アボリジニには"時間"という概念がない。
彼らにとって創造は、「過去」→「現在」→「未来」へと連続する運動ではなく、主観的状態から客観的状態への移行を意味する。(通時的ではなく、共時的な思考の構造)

夢見(dreaming)から実在が生じる。
つまり、原初の夢見(dreaming)が実相であり、この世界(ユティ)は、その内的ビジョンの外界への投影=仮想にすぎない、という考え方だ。
もっと説明すると、宇宙は二次元のように平べったく過去現在未来の情報すべてが同時に存在していて、我々が観測できる世界は、二次元宇宙が映しだしている投影である。(アカシックレコード、ホログラフィック宇宙論に似てる)
そして、アボリジニはドリーミングという行為を行うことで、二次元宇宙に移行することができる、というのだ。
アボリジニ「現代に生きるわれわれは、原初の夢見のなかで、さらに夢を見ているのだ。アボリジニは二つの世界を並行して生きている」
「森羅万象には、夢見(dreaming)がある」

人類は当初、意識の主観的エネルギー状態として存在する。夢、直感、そして思考は、振子のように揺れながら、外界を対象化していく。物質の創造や活動に参加するようになると、意識の振子は一転して、客観的実在から主観的状態へと振り戻され、内的記憶となる。(ドリームタイムへの魂の再吸収)。ここにループ構造がある。ニーチェがいうところの永劫回帰だ。

ヒトは理性と本能を結び合わせる氏族トーテム。
(人類の心理状態が動物の体や行動と結びつけられ
「ライオンのように勇敢な」「チョウのように繊細な」
「ハチのように忙しい」「鳥のように自由な」
といった言い回しが、世界中の言語に共通してあふれている。
そこには人間の本性と動物の密接な関係が如実に現れている。
生態学者ポール・シェパードによれば、ノアの方舟は、
人類の集合的無意識の象徴だという)

アボリジニは、空間を距離とは考えない。
空間内の知覚可能なもの=意識
対象間にある肉眼では見えないもの=無意識

意識と無意識はつねに同じものであり、無意識とは「夢見」という連続体の一部なのだ。
《意識+無意識=森羅万象》は覚醒と睡眠、生と死のあいだで出現と消滅を繰り返している。
つまり、夢見という観点からみれば、昼と夜は同時に存在している。


絶え間ない変化と順応を繰り返すユティ(知覚可能な世界)からドリームタイムに移行する手段として、睡眠・儀礼・祭儀・音楽・美術・うなり版・神話・水晶や石などのトーテムがある。

夢見(dreaming)へのステップ
1. 感覚が異常に研ぎ澄まされる知覚過敏
2. 五感が一体化する共感覚
たとえば、ある色をみると特定の音が現実に聞こえてしまう。ある種の味を味わうと、ある色がみえたりするなど。60〜70年代前半にアメリカのヒッピーたちの間で流行った、LSDなどの幻覚剤によるサイケデリック効果がそれに近い。


アボリジニの迫害について
白人は有色人種を差別する。しかし、黒人は奴隷にされアボリジニは大量虐殺されたが、アジア人やインド人は奴隷にされなかった。
これはなぜなのか?
アフリカの民族、南北アメリカ先住民、アボリジニに共通する特徴は、無文字社会であるということ。だから、欧米人は彼らのことを「primitive(未開)」と見放した。
未開人は知能が獣レベルだから家畜同様に扱っていい!という発想が根本にある。白人が黒人やアボリジニを無慈悲に扱うのは、そのためだった。
つまりまとめると、欧米人は"肌の色"と"文字を持つか"という二つの観点から他文明を階層化していたのである。
「牛や豚は殺しても構わないが、イルカやクジラは知性があるから捕鯨は絶対認めない!」という扱いの差も、同じ理屈で説明できる。

19世紀末のオーストラリアではスポーツハンティングという名の虐殺が日常のように行われていた。詩人メアリー・ギルモアは幼少期の思い出を「シドニー・モーニング・ヘラルド」紙(1938年3月4日)に次のように書いている。

水飲み場の周辺に何百人ものアボリジニが死んでいた。
大人たちが集まり、アボリジニの狩りに出かけるところを何度も見た。
欧州から獰猛な狩猟犬が輸入された。アボリジニたちを狩りだし、
食い殺させるためだった。ある時は小さな子供たちが、
野犬のように撃ち殺された両親の遺体のかたわらで死んでいるのも見た。


そもそもオーストラリア政府はアボリジニを国民とみなしていなかったので、人口動態国勢調査対象からも外し続け、アボリジニを人口統計に入れたのは1973年の憲法改正以降であった。
現在、アボリジニの人口はイギリス人の入植前と比較し、10分の1以下に減少した。またタスマニア島にいた3万7千人の原住民は根絶やしにされた(Black War)。これが白豪主義の実態である。

アボリジニの文化は世界で一番長く続いている。そして無文字文化であるのに関わらず、一万年前から数千年前にかけての隕石衝突や、動物絶滅、津波などの出来事を語ることができる。そしてまた、これらの事実同様ドリームタイムの神話や宇宙観も、彼らは事実として語り継いでいる。これほど長く膨大な量の知識と文化を蓄えてきた民族は他にいないだろう。
そして彼らは、数千年前から「我々が認識してる世界はあくまでも認識であって、実相ではない。過去現在未来すべての情報が一箇所に集められた世界が存在してて、我々はそこに到達できる知性を持っている」と世代を超えて語り継いでいるのだ。

果たして、あなたはどう思う?

俺は、彼らが次の人類の進化の重大なカギを握ってるんじゃないかとおもってる。

彼らは事実の津波や災害を語るように、遥か昔我々アボリジニに宇宙からこの考え方を伝えにきたものがいる、とも語っている。彼らはその存在をウォンジナと呼び、壁画にも残している。
もしも、本当に遥か昔時間を超越した知性体(つまり宇宙人)がUFOに乗って地球に降臨し、アボリジニに未来の考え方(時間のない世界)を伝えにきて、アボリジニはその考え方がのちの人類が必要になると知っていたため、テクノロジーや社会から孤立した文化形態を作り上げ、神話を通じて語り継いできたのだとしたら、すべてに辻褄が合う。アボリジニが無文字文化を貫いた理由も納得がいく。
アボリジニの考え方「dream time」(夢の時代)はやってくるのだろうか。
いや、
SFがSFじゃなくなる時代が、本当はもうすぐそこまで来ているのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?