雪の結晶が消えるまで

その日は12月25日。
クリスマスの当日だ。

 町は色とりどりの彩色がなされたイルミネーションで光に満ちている。
その色に反射するように、白い雪が輝いて見えていた。
空から降ってくる雪は透明なはずなのになぜ、白く見えるのか。

 「なんで雪は白いんだろうな」

 そんなことをつぶやきながら彼は都会の人が行き交う、大きな歩道橋の上で下に見えるイルミネーションを傍観していた。

 なにも目的がなく、その無駄のように思える時間を過ごしているわけではない。
大切な人を待っていた。彼にとっては昨日のように思えるほど近しい記憶だが、実際の時間はそうは流れてくれない。

 もう5年も前から遠距離恋愛をしていたその子を待っていた。

 「会ったらどんな顔をしたらいいんだ俺は……」

 毎日欠かさずに連絡をしていたかというと、お互いに忙しいという事で、ここ最近は連絡が途切れがちだった。
会うのも告白をしてからそれっきりだった僕たちはフィーリングだけでこの5年間を過ごしてきた。

 今回が久しぶりに会う機会。
お互いの予定が合い、お金も余裕とまでは言わないが出来たので、二人で話し合い漠然とした流れの予定だけを立てて、会う事にした。
彼女が待ち合わせの場所に現れるのは大体1時間後。つまり俺は早く着きすぎてしまったというわけだ。
その間の待ちぼうけというわけだ。

 「……今日はやけに寒いな着込んで着て正解だった」

 とぶつぶつとつぶやきながら彼は待ちぼうけていた。降りしきる雪。町ゆく人。肌に当たる凍てつくような風。
そんなものが気にならない程度には、心臓の動機が止まらない状態だった。
言葉で伝えた。文字で伝えた。だがまだ行動では伝えた事のない俺にこの5年という歳月が重くのしかかってきた。

 「落ち着け……落ち着け……」

 そう自分に言い聞かせて、歩道橋を歩くことにした。
止まっていると何か落ち着かない。そんな焦燥にも似たなにかが俺の体を突き動かしていた。

 歩道橋を下りていきイルミネーションの海に身を投げる。
ここを二人で歩くのかと思いながらも、今日のルートを再確認をしシミュレーションを行っていく。
そんな滑稽な事をしていると、30分経っていた。
待ち合わせの時間までには歩道橋の上に戻っておかないと彼女を待たせてしまう。
久しぶりの再会というのに、そんな気が抜けているような姿を見せたくはない。

 そう思い僕はそのイルミネーションの海から上がることにした。
思ったより歩いて来てしまったらしく、戻るのに時間がかかっている。
何か俺の足に引っかかった感触がした。その違和感を気にする事はなく歩みを進めていく。
歩道橋の階段を上がろうとした時、体から力が抜けたように傾いて、俺の視線には真っ黒な空が見えだんだんと光の玉が散らばって視界に入って来た。

 視界から光の玉だけが消えて行く中で、雑音が増えてくる。妙に暖かい。冷たいはずなのに暖かい。

 そして視界からは何もかもが消え、周りの音も消え去って、暖かさも感じなくなってきた。
まるで、深海にいるかのような感覚に陥る。真っ暗な音もない空間に俺は一人立っていた。
動くことも考えることも出来ずに、ただただ立ちすくんでいた。

 そこで俺の時間が一度止まった。

「あれ……どこにいるんだろう……」

 私は時間通りに待ち合わせの場所について、辺りを見渡したが彼の姿はなかった。
少しどこかで遅れてしまっているんだろうと思い、彼の電話番号をプッシュし電子音を鳴らした。
単調で一定間隔でなる電子音が連続した電子音が耳元で鳴り響く。

 その電話に彼は出ることはなかった。
お留守番サービスの機械的な音声が電話口から聞こえてくるばかりだった。
私は彼が電車やその時ちょうど出れない時に当たってしまったんだなと思い、再度電話をかけることをやめ、彼からの電話を待つことにした。

 それから何分経っただろう。
彼からの電話もなく、彼の姿もなく。
前を歩くのは、この時間でも途切れることのない人の波だった。
会社帰りの人、家族連れの人、カップルで歩いている人。
そんな人たちが列を成して、街並みへと消えていってはまたどこからか現れていく。

 「どうしたんだろこんなに遅くなるなら連絡の一本もくれたらいいのに……」

 私はだんだんと不安になって来た。
期待だけさせておいて、いざ久しぶりに会う機会になったらすっぽかして私を一人にする。
私が帰ろうとしたときにひょっこりと現れて、こう言うんだ。
 「ごめん……ちょっとあそこで困っている人がいて……ちょっと助けてた」

 彼はいつもそうだ。
自分の事より、人のことを気遣って行動をし、自分の事は後回しにして、そうして病は重篤化していく。
気づいた時には、ぼろぼろに泣き崩れて聞かされるのはいつも自分が至らなかったという自責の念。

 「そんなに周りの事ばかり気にして、あなたはあなたの為に生きたらいいの……」

 私が彼にそう言葉をかけた事もあった。
そのたびに彼は、なにも反論はせずに。

 「わかった……」

 その一言だけだった。
本当になにもわかっていないんだから。
どうせ今回もそうなんでしょ。そんなんだったら私帰っちゃうからね。
だから、こういう時くらいはこう言って来なさいよね。

 「ごめん……だいぶ待たせたみたいだね……電車が遅れちゃって」

 自分以外の要因で、なおかつどうしようもないような内容の謝り文句を考えて来なさいよね。

 雪の降る歩道橋の上で、私は待った。
下に輝いているイルミネーションを見ながら、彼が声をかけてくるまで待っていた。

 彼を私は待っていた。
別に、このまま会えないのが嫌だとかもしかして捨てられたんじゃとか、そういった負の感情がわいたわけではない。
彼にしかできないことでもないことを、おせっかいな彼は自分にしかできないと思って、してしまうのを知っている私はただ来るのを待つしかなかったからだ。

 ここで私が帰ってしまって、入れ違いで帰ってしまうと彼のほうが勘違いを起こしてしまうかもしれない。
連絡が取れないのも、きっと充電をし忘れたかでちょうど使えない状態なんだろう。
そう思っていたら案外心は平穏そのものだった。

 もう予定の時間から一時間以上が経過した。
私はずっと同じところで待っていた。相変わらず一時間立っただけでは人の波が消える事はない。
こんな日だ。一人でいる私に声をかけてくるよくわからない恰好をした人たちがいる。
決まって彼らは一言目にこう言ってくる。

 「君今一人なの?俺と一緒にイルミネーションを見ながら、どこかで晩御飯でもどう?」

 そういって私を誘ってくる。
そういった誘いをすべて断っていく。しつこくてたまらない。
なぜ彼らは人を待っているであろうという人を誘ったりするのだろうか。
はなはだ思考が読めない。都会ってこんなよくわからない人が多いんだと思いながら無表情で待っていた。

 「さむっ……」

 十分に着込んで来たはずの私が、少し寒さを感じてしまう頃。
私はかじかんだ手とどんな顔をしているんだろうと思い立ち、待ち合わせ場所の近くにあるショッピングモールにいく事にした。
 
 わかっていた。
 
 この時間まで来ないという事は、もう今日は彼が来ないことはわかっていた。
わかっていたが、もし来た時にどんな顔で会えばいいのかわからなくなってしまっていた。
思いっきり怒っている顔をすればいいのか。思いっきり泣きそうな顔をすればいいのか。
気にしていないように毅然とした顔をしていればいいのか。

 どんな顔をして彼を待っていればいいのかわからなくなっていた。
そして今どんな顔をしているのかというのが気になっていたのだ。
ショッピングモールの外にあるショーケースに映る私の顔。私の姿。
都会にはあまり似つかわしくない地味な恰好だった。
周りの人が履いているようなヒールでもない。ただのスニーカー。
周りの人が履いているようなひらひらのスカートでもない。ただのデニム。
周りの人が着ているようなコートやニットでもない。ただのダウンジャケット。

 周りを見るたびに、今の自分はなんて場違いなんだろうという気になってしまう。
少し立ち止まって見ていたが、なんだか自分の居場所を見失いそうな気がして、ショーケースの前を後にした。

 そしてまた私は待ち合わせ場所に戻る。
ダウンジャケットのポケットに手を入れて、少しでもかじかんだ手を温めようとした。
本当なら今この寒さを感じないように、なっていたはず。
そんな現実逃避をしながら。

 そんな時、ダウンジャケットの中に手と一緒に突っ込んだ携帯がなり始めた。
急いで取り出して番号を確認する。
そこには、彼の名前があった。
その瞬間、安堵とやっとかという呆れた感触が自分の中に駆け巡った。

 そしてその電話に出るために、受話器ボタンを押した。

 「もしもし……??遅いよほんと!!」

 声を荒げて彼を諭すように言った。
すると電話口からは聞いたことのない声が聞こえてきた。

 「あかりさんのお電話でお間違えないでしょうか。」
知らない人が彼の電話を使って、私に電話をかけてくる。
こんな恐怖を味わった事は今までにはなかったが、応答をする。

 「はい。そうですが、どちらさまでしょうか。電話の持ち主はどうしたんですか」

至極まっとうなことを私は聞き返した。


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