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戦争と俳句

一度だけ参加した句会で知り合った人の展示を見に角川庭園に行った。春頃だったと思う。展示室の隣の部屋では、俳句の勉強会のようなものが開催されているようだった。女性が句を取り上げて解説をし、他の参加者が聞いているのを庭を眺めながら聞くともなく聞いていた。

その時、視界を遮るように

あと一時間で死ぬ眼(まなこ)

という句が飛び込んできた。その眼と目が合ったようにハッとして、その解説に耳を傾けた。解説によると、これは安倍元首相のことを読んだ句なのだそうだ。どなたの作かは分からない。その場に実際に居合わせた人なのか、想像で書いた句なのかも聞き取れなかった。


ひとうたの茶席」の企画で、俳人金子兜太さんの生地、秩父を訪ねた。インタビューではそこまで踏み込んだ内容をうかがえなかったが、金子兜太さんを知らない人にも知ってもらえるようにと、本を何冊か読み、その内容を補足しながら時間をかけてまとめた。

金子兜太さんの回想の中で必ず触れられるのは、トラック島に赴任した経験だ。敵との闘いというよりも、飢餓との闘いで、何人もの仲間が目の前で亡くなった。兜太さんは、戦地でも句会をしていたことを、帰国してしばらくの間忘れていたらしい。それ以外の壮絶な記憶のために隅に押しやられていたのだろう。

「魚雷の丸胴 蜥蜴這い廻りて 去りぬ」ー金子兜太

戦争体験を常に念頭に置きながら、その活動は俳句を中心にその外の世界へも広がっていった。そして、晩年、一時期よく目にした「アベ政治を許さない」という文字を書いた。


この原稿に手こずっていた頃、たまたま村上春樹が父について書いた文章「猫を棄てる」を読んだ。村上春樹の父上は、金子兜太より3年早く生まれ、二次大戦においては兵役を免れたが、同じ時期の戦争を経験した。そして、個人的な趣味として俳句を詠んだ。違う二つの目線から同じ時代を辿ったようで不思議な気持ちになった。

「鹿寄せて 唄ひて ヒトラユーゲント」ー村上千秋

鮮烈な風景はカメラのシャッターを押すように言葉によって切り取られ、小さな石を渡すように受け手に届けられる。

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