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母の詩吟

数年前から母が詩吟を始めた。国民の大半が、そして私も「なんだか今日いける気がする」しか知らないアレだ。喉の健康のためにとはじめたらしいが、確かに呼吸も深くなり、仲間も出来たようでとてもよい趣味だと思う。

春に実家に帰り、ふと机に置かれた紙を見ると、西洋譜とは違う謎の譜とともに、漢詩や和歌が書いてある。ほう・・わたくしが今勉強しているものをあなたも・・。

そして先だっては、市だか県だかの大会で優勝したらしい。何でも真面目にやるし、もともと歌心も持っているから納得だ。さすが我が母。

「すごいやん」と褒めると、「でもあと何年歌えるか・・それまでに・・」と博打打ちみたいな顔で何もない空間を見つめていた。アマチュアピアニストの猛者の皆さんと同じ表情だ。何人かの友人は、来世まで考慮してんのかと思うほどの長大な弾きたい曲リストを、常にご自身の健康寿命と照らし、算段しつつ生きている。ちょっと怖い。あなたもそこに行かれたんですね。

でも、どうするんだろな。と思う。私の偏見では、母の人生の主眼は「消費者であれ」だったと思う。もちろん本人は否定するだろうけれど、高度成長期の社会の要請であったそのコンセプトを疑問なく飲み込み、国防婦人会のようにその先鋒として私を教育し、私もその恩恵を享受した。他人の尺度を盲目的に受け入れ、それに評価されるように生きること、と言い換えてもいい。

だけど真剣に表現していくことになれば、狂信的と言える程に信じ込んだその枠から出ざるを得ない時期が来るはずだ。そして一番得意で大好きな、先生的な存在に褒められて、一等を取る、ということの外にも。

プロかどうか等関係なく、価値の基準を自分で決める覚悟を持った時に、ようやく表現者になる。そして音楽を通じて得た感覚と、生き方は相互に影響し合うから、気付かぬうちに人生そのものの解釈を変えて行くだろう。

残された年月が少ないとしても、その真剣さと集中力、これまでの人生で熟成されたもの、生来の勘の良さがあれば、その景色を見るんじゃないか。

これまで母が温泉にハマって風呂に入るためだけに何時間も車を走らせていた頃は「湯」、旅行のトランクを業者みたいに集めた時期は「箱」など、その時々で戒名に入れる文字を密かに想像して来たが、もしそのレベルに達されたら、「吟」くらい入れてあげたいと思う。