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ご機嫌なガイドと雨の斑鳩を巡る

13:00すぎに奈良駅に到着し、コインロッカーに荷物を預けてから法隆寺駅に向かった。法隆寺に向かう大通りを歩く。陽に照らされた畑の土や枯れ草の匂いに、松山の田舎の方を思い出す。軽トラや草刈り機のモーター音。

人のいない法隆寺の五重の塔の周りをぐるぐると周る。目に見えるものも見えないものも、何もかも鷹揚に受け入れる、時間が円環するかのようなのどかな光と空気に、子どもの頃にだけ感じた気配を思い出す。私の記憶がある40年前どころか1600年前も、この気配のままだったのではないか。奈良の中でもここ斑鳩地方の空気は、特別にゆるい。梅の香りは、時を超えて漂ってくるようだ。

格子の向こうにぼんやりと見えるいくつかの仏像を、見どころも言われも分からないままに通り過ぎた。ふと仏像の説明をする男性の声が聞こえた。観光ボランティアのようだ。「どうぞご一緒に」と誘われ、秋田から来たという女性とともに説明を聞く。そのうち宮崎から来たという女性も合流して、3人のツアーになった。 仏像だけでなく、各建物の歴史なども丁寧に説明してくれる。しかし西院伽藍だけで1時間を使ってしまった。時折挟み込まれる、家では奥さんとの話題がないことや娘からの電話もすぐ切られるなど、プライベートな話のせいかも知れない。この1時間で彼の出身地や家族構成などが概ね知れた。

柿食えば・・の句碑


だんだん雨足が強くなってきた。奈良の寺はだいたい4時に閉まるので、次第に終わり時間が不安になって来た。女性たちが御朱印をもらいに行っている間に、「中宮寺の半跏思惟像も拝見したいんですが」と伝えると、「分かりました!」と急にペースアップし、大量の仏像が並ぶ大宝蔵院は「重文は飛ばして、国宝中心で」という贅沢な指針で、飛ぶように説明された。

急ぎつつもしっかりと、なぜ聖徳太子がなぜ日本にとって大切なのかを伝えてくれた。質問すると、手元の手製のファイルを参照しながら丁寧に教えてくれる。その間にも各所の係の方に、「僕の魅力で、すーーーっとこの人たちが寄ってきたの。僕の魅力で」などの軽口も欠かさず、楽しそう。

中宮寺を見終わったところで女性二人はバスの時間のため離脱した。そもそも中宮寺に行く予定はなかっただろうに、私につられて追加の拝観料を支払った上、法隆寺の東伽藍が見られなかったお二人に申し訳なかった。それでも水に浮かぶように立てられた美しい中宮寺と、滑らかな半跏思惟像を見られて良かった。

中宮寺
会津弥一の歌

最後に残された私は法隆寺に戻って東伽藍も見学し、さらに端のベンチに座らされ聖徳太子が作った日本はじめの憲法を、現在の政治の問題に照らしつつ説明を受けた。

ふたりで一つの傘に入って入口までの長い道を歩き、出発直前のバスに駆け込んで、バスの中から手を降って分かれた。

(2024.02.29)