見出し画像

Women in Tokyo

 マウンティングーー嫌な言葉が定着してしまった。全人類が関与を逃れることはできない。今更始まったことではなく、人間の本能だ。自己が他者よりも優れている部分を誇示する。

「また上司に褒めてもらって評価良かったんだ。彼氏からもバレンタインに薔薇もらってさ。えー、まだ彼氏できないの。出会いの場に行かなきゃ」

 「女」の幸せは、「結婚すること、子供を持つこと、キャリアを築くこと、親孝行すること」などのステータスに基づき判断されがちではないだろうか。男性も同様だが、男性の場合は圧倒的に「名声」や「年収」による比重が大きい。昨今はダイバーシティと名を売って個人を尊重する風潮が強い。それでも、そう簡単に人間の本質は変えられないことを社会が証明しているのではないだろうか。

「お前まだ年収4桁いってないわけ?よく転職しないでいられるよな。ま、子供もいないからな」

 隣の芝生が青く見えるときは誰にでもある。誰もが様々なことを選択して生きているのだから。幸せの基準は他人の目ではなく、自分の大切な価値観であるはずだ。
 それでも、生きている限り自他の評価に対する問いから逃れられないだろう。正しいかどうかで判断できるものではないが、人生の先輩に教えを乞いたくなってしまうものだ。

「まだ結婚相手もおらんとね。仕方なかね。私があんたくらいの頃にはもうお兄ちゃん妊娠しとったが」

 私は東京の女になってしまったのかもしれない。根っからのシティガールのモデルのような女たちには無論勝てない。一方で、地方のあどけなく笑う女たちにも勝てない。中途半端なのだ。比較対象によって違う部分を比較しようとして、優越感と劣等感を都合よく見出すわけだ。そうして都会の騒々しさに辟易したアラサー女子然とした自分に酔っている。そんな、東京の女。

「自分が満足してれば周りの言うことなんてどうでもいい。それでもこの都会砂漠を生きるために、発狂しそうになることだってあるよ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?