「今ここ」を肯定できるような僕に

1月末から2月初週の忙しさは尋常ではなかった。
期末レポートの締切日が連なるだけでなく、そこに第1志望群のES締切日が重なり、極めつけには3daysのインターンまで入り込んでいた。

大学入って以来の忙しさだったかもしれない。こんなに様々なことを並行してやっていたのは久々だった。

そういった修羅場を抜けて、今週。
私の中の創作意欲は爆発していた。故にこうして毎日のようにnoteを書いている訳だ。

もちろん、今月末にも諸々の締切はあり、こんなことをしている場合ではないのだけれど。

とりあえず、「死ぬほど忙しい」が「忙しい」になった今のうちに、私は言いたいことを言っておきたいのである。

という訳で、今回の話はずっとタイトルだけ書いて下書きにしたためていたもの。

永遠に幸せになれない私の考え方について。




私が進学した高校はいわゆる進学校だった。
だけど、県内トップという訳でもないし、皆が東大を目指すようなレベルでも全然なかった。

振り返れば、いい高校だったんだと今は思う。

でも、高校生の私が文化祭に勤しんでいた当時、「もしあの高校だったら」と、何度も思った。

あの高校とは、県内トップの公立校だ。かなり熱心に文化祭に力を入れており、なんと1週間丸々使って開催されるほどだ。

母校もそれなりに生徒が好きに好きなことをやれる環境ではあったが、私はなんだか周りの関心の低さ、意識の低さにもやもやすることが多かった。

だから、「ここじゃなければ」と現役高校生の時はよく思っていた。

卒業式の時も、自分の母校に対して感傷的になることなどさらさらなく、ただ次の場所に対しての期待を膨らませていた。

今でも、大学でもそうだ。

「もっといい大学にくれば、面白い人に出会えたんじゃないか」
「もっと違う学部に進めば、面白い授業を受けられたんじゃないか」

……なんて。
文字にすると本当に愚かしくて、見ていられない。

もうお分かりだろうけれど、私は全ての不都合や不満を「環境のせいにしているだけ」なのだ。

それでいて、「ここじゃなければ自分はまだまだやれる」的な逃げ道を残し、かわいいかわいい自分を守っているだけなのである。

よっぽど、自分を肯定しようと、自分の環境ごと躍起になって肯定しようとしている人の方がマシだ。

私はそうならなくてはならないのだ。

受験に失敗した訳でもない、自分で選んだ道にもかかわらず、その環境を否定してしまうような僕から。

たとえ自分の選んだ道ですらなくたって、今いる「ここ」という居場所を、肯定できるように努力できる自分に。

過去の選択を、「正解」に変えられる自分に。

次の居場所では、そうなりたい。






「今ここ」を肯定できるような僕に。


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