「○○ハラ」の乱立にキレてます

ハラスメント。
「いじめ」並みに曖昧で、かつコミュニケーションの複雑さをすべて捨象したかのような雑な概念。

もちろん、この雑だからこそキャッチーな概念によって、セクハラやパワハラといった、主に権力勾配の強い人から弱い人に対する嫌がらせが可視化され問題になったことは一定の収穫である。

しかし、ハラスメント業界は未だに盛り上がりを続け、今でもニュースで「マルハラ」(文末に句点をつけて圧を感じさせることらしい)などと馬鹿げた概念が紹介される始末だ。

こういった新しいハラスメントが紹介される時、主語、つまり訴える側は当然、私たちのような若者である。


だが、私が言いたいのは
「なんでもかんでもハラスメントと言ってしまう最近の若者はどうなんだ!」ということでは、決してない。(タイトルからその内容を期待された方がいたら申し訳ない)
むしろ、若者は新しいハラスメントなんか殆ど名付けてないんじゃないか?とすら私は思っている。

そう、私の怒りの矛先はむしろ「メディア」側である。おそらく、新しいハラスメントのほとんどは、メディアの話題作りではないか?と思っているからだ。

そして、この場合メディアは若者をエンパワーメントしようと話題にするのではなく、逆に、積極的に若い世代を他者化して、理解の外に遠ざけるだに取り上げているかのような意図を感じる。



ただ、勘違いして欲しくないのは、LINEのメッセージなどで「。」の文末に対する違和感や威圧感を、若い世代が持っていない訳ではない。
若い世代の多くは確かにLINEなどの、友達と使うようなカジュアルなツールにおいては、上司からの「。」は威圧的にも見えるのはなんとなくわかる。(というか、上司とLINEなんか交換したくないという人がそもそも大多数だろうが)

別にビジネスメールの文脈でそんなことを言ってる若人はおそらく少ない、というか自分たちだって「。」を普通に使うはずだ。


だから、ややこしいのだが、
「マルハラ」などとニュースで銘打って話題になってしまうと、実際に世代間の論争が起きてしまうのである。
「そんなことまでハラスメントと言われなきゃいけないのか」「。を使う場面とそうでない場面の使い分けも老害はできないのか」云々。

しかし、その火付けを積極的にやっているのは若い世代ではなく、メディアである。

もっと上の世代に対して厳しい目線で見れば、
「若い世代とのコミュニケーションの中で抱いた違和感や、理解できない価値観に、何かしらの名前をつけて安心して叩きたい」という大人たちの浅ましい欲望のために、ハラスメントが使われている感じを覚えるのである。

だから、こういう記事には決まって「Z世代」とかいう若者が好んで使わない言葉が使われる。若者を理解できない「われわれの文化の外」に置いて、雑にくくることによって安心したい大人たちに向けて、そこをターゲットに記事を作っている感じがするのだ。
若者はその記事に対して、怒ったり、「別に俺は気にしないけどな」とか言ってくれたりしたら、メディア側としては十分なのである。世代間の対立が過熱するほど、メディアにとっては得なのだから。


とにかくさ!
世界に対して言いたいことはね。
すべての差別を許さないとか言ってる人たちに言いたいことはね。



誰かが傷つかない世界を作りたいのなら、
すべての人が傷つかない言葉や規範を考えるのではなくて。

すべての人が違うことを認めて、
いま私の目の前にいる「あなた」がどんな人か知り、
その人ひとりが傷つかないようにまずは頭を使って想像してほしい。


人がみな違うように、人と人の関係性もまたすべて違うので、
同じ行為を「ハラスメント」なんて言葉でくくって、糾弾するのは無理がありませんか? 

というか、そうやって「ハラスメント」の単語が乱立されている時代に、
言ってしまえば「ハラスメント」という言葉の価値が暴落している時代に、
本当に困ったときに若者が「それはハラスメントです」と言いづらくすらなっているのを、メディアの台本を作る大人たちは分からないのでしょうか?


…なんて、たまにはnoteで怒ってみました。
電車の中で書き上げたんですが、どうあがいてもハラスメントより満員電車の方が腹立たしかったので、今度は満員電車について怒りたいと思います。

読んでいただきありがとうございました。



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