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「恋」を分解してみたら、全然ロマンチックじゃなかった。

社会人にもなれば、
みなそれなりに恋愛に興味を持つ。

※恋愛に興味を持たなければ立派な大人とは言えない、という意図はまったくございません。

単純に、大人になると「友達」との関係が気薄になりがちで、コミュニティを維持するのが難しくなって、1対1で承認を得られる「恋人」を求めるようになるのだと思う。
おそらく「結婚」も「家族」もその延長線上にある。

つまるところ、皆さみしいのだ。

もちろんちゃんと恋がしたいと思って恋がしたいと言っている人もいるんだろうけれど、「恋がしたい」とか「結婚願望がある」とか言っている人の大半は、「ひとりではさみしい」と口に出しているだけなのだと最近思うようになった。



中高生の頃は、色恋沙汰など一切聞かなかった友人たちが、今では恋人を見つけて楽しくやっていたり、恋人がほしいと言っていたりする。

なかには「でもどうやって恋愛をすればいいか分からない」と言う人もいる。
そもそも人を好きになるってなんだっけ?という、中学生が無駄に真剣に悩みがちな問いを投げかけてくる人もいる。

私は少女マンガの編集者という仕事柄、もしくは単に生来の性格柄、恋愛について、人を好きになるという事象について、よく考えている方ではあると思っていた。
しかし、改めて自分の経験を振り返ってみると、別に恋が生まれる瞬間、人を好きになる瞬間ってそんなに特別でもロマンチックでもなかったな、とふと思い出した。

今回はそういった、「私なりに恋を分解してみた」お話である。

※ロマンチックイデオロギー解体!みたいな思想的なお話ではなく、あくまで私の体験の一般化です。悪しからず。



もったいぶらずに核心を言うと、
私は恋愛の「フラグ」を常にいくつか立てている、
というのが今回の最大の気づきである。

フラグというのは、いわゆるフラグである。
フィクションでは典型的に見られる、手が触れ合うとか、誰かを助けるとか、そういう恋愛の兆し。
恐らくエロゲとかギャルゲが由来だと思うが、この、いわば〈前-恋愛〉的な段階が恋愛には必要なのではないか?というのが私の考えである。

ちょっと哲学かぶれがすぎる表現をしたけれども、まぁかっこいいから許してほしい。

人の印象は出会って最初の数秒で決まる、とはよく言われることで、第一印象というのはコミュニケーションにおいて意外と大きい。
この人は私にとって味方になりうるのか、敵になりうるのか、私と合いそうなのか、合わなさそうなのか。

ひいては「この人は恋愛対象になりうるかどうか?」も、もしかしたら最初の数秒で判断しているのかもしれない。

単純な話、顔がタイプとか、笑顔が素敵とか、声がいいとか、雰囲気が落ち着くとか、そういった原始的な直感もフラグになりうるのだと思う。

というか、一目惚れする人というのは、この私にとっては〈前-恋愛〉的な段階を〈恋愛〉と捉えているだけなのではないか?と思っている。知らんけど。

とはいえ勿論、最初に脈が無かったら永遠に恋愛に発展しないかといえば勿論そんなことはない。

最初はあまり関わらないクラスメイトだった人と、ある機会で接する機会が増え、人となりを知って、意外な共通点があったことを知る……みたいなのは典型的なフラグである。
普通に、意識はしてなかったがよく遊ぶ仲のいい異性がいて……とかでも良い。

と、ここまで書いてきて、
これはちょっと男性っぽい考え方かもしれないなと。
 
女性は大半の男性をうっすら嫌いで、
男性は大半の女性をうっすら好きである。

というのは古事記に書かれた名言だが、まさにこのフラグ恋愛論はこの文脈でいえば男性的な発想と言えるからだ。

〈前-恋愛〉段階というのは、にわかに生まれる感情や印象であり、一般に言う「気になる」よりも若干手前…くらいである。
なので、この感情の矛先は同時に複数に向くことが容易に成り立つ。

(一瞬、〈前-恋愛〉とかいう厨二丸出し単語が「気になる」って言えば良くね?と自分で思ってしまって慌てたけれど、友達が急に「私いま10人くらい気になる人いるんだよね~」と言い出したら「えっ?」ってなると思うので、やはり両者は微妙に違う。〈前-恋愛〉は同時に10人くらいいても問題ないくらい初歩的な感情であり、平易に言えば「付き合える」くらいのものかもしれない(若干上から目線な表現になってしまうが))

話が逸れてしまったが、
要するに女性の方が好きでもない人からの好意を忌み嫌う傾向にある(と俗に言われる)ので、この〈前-恋愛〉が常に複数人かに向いているという私の実感は、私が男性であることによるバイアスがかかっているのかもしれない。

ただ、あまり恋人が途切れないような恋愛体質の人間は、性別にかかわらずこの〈前-恋愛〉を常に複数持ち続けている気がする。

彼ら彼女らは、ひとたび付き合えばもちろんその恋人に耽溺したり楽しんだりするけれども、別にその間に他の人間とのフラグが完全に切れる訳ではなくて、常に他の誰かとの恋愛可能性を保持し続けている。


しかし、一途であることが善とされる世の倫理によるものなのか、単に個人差なのか性差なのか分からないが、
まったくフラグを立てない人もいる。

ある人と交際を始めてから意識的に他のフラグを、前-恋愛的感覚をシャットアウトする人もいる。

……中学時代の私である。

中学時代の私は恋愛に対して潔癖すぎて、
一途であることを何よりの至上命題としていた。

初恋の人と結婚するのが最も清らかで美しい恋愛である、と思っていた。
だから私は歳をとるごとに、恋愛を重ねるたびに、自分が穢れていくような感覚を覚えていた。

そういう恋愛に対する神聖視も、大学に入ってから消え失せたけれど。

ともかく、中学時代の頃の私は、自分の気持ちがふらつかないように他の異性を極力視界からシャットアウトするよう努めた。

話さないようにするとか、連絡先を消すとか、そういうことではない。
内省的に「この人となら恋愛ができる(かもしれない)」という〈前-恋愛〉的感覚を閉ざしたのだ。

そして多分そういった態度が、相手からすれば非常に重たかったようで(そらそうだ)。
私はすぐにふられてしまうのだが、そこから立ち直るのはとても時間がかかった。

多分、別れてから一年以上。
まあそんな長くもないか。体感、長かったんだよ。
ずっと忘れたい、次の恋がしたいと思っていたから余計に。

当時の日記に私は「イスラム教の人が急に「肉食べていいよ!」って言われたら戸惑うと思うけど、それと同じ感覚に今なっている」とよく分からない喩えを書いていた。

それくらい禁欲的な態度をしていた、ということだと思う。
だから、フラグの立て方を思い出すまでにものすごく時間がかかってしまったんだろう。

そして、大人になるにつれて
このフラグを立てることの難易度が上がっていくのを感じる。

それは仕事以外の人との出会いの少なさ、時間のなさ、それによってコミュニティの繋がりの薄さとかによるものだと思う。
あとは、「逆算」の面倒くささとかも。

まだ23歳だといっても、結婚願望のある人の多くは逆算をしている。何歳で出産するためには何歳で結婚し、何歳で結婚するためには何歳でその人と出会い、付き合い始め、同棲をして、親に挨拶をして、式場を下見して、挙式をあげるのか、会社をいつ休むのか、もしくは辞めるのか……etc。

もちろん、結婚願望のない人もいる。
親友のポジションとしてのパートナーが欲しい人も最近は多そうだ。

何にせよ、その需要のすり合わせがまた一苦労である。

歳を取ればとるほど、「感覚」や「直感」で恋愛できなくなっていく。そこに打算や計算めいたものが入りこんでくる。

そういった事情も考え出すと、フラグみたいなものも生まれづらい……のではないかな。
だってその感覚は具体的な恋愛の内容を考えて想起されるものじゃないから。なんとなく知りたいとか、心地いいかもとか、それくらいの意味だから。

だから、社会人になってようやく恋愛に本腰を入れるって大変なんじゃないかな〜、というのが今回の結論でした。
もちろんできる人もいっぱいいるだろうけど、も。

最近「こっち向いてよ向井くん」という漫画を読んでより一層そう思いました。


まあ、でも無意識でも皆そういう恋愛の打算的な部分や非運命的な側面を理解しているから、
物語では運命的な恋愛に憧れてしまうのかもしれないですね。



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