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実は興味なんてない


詩を詠う。
メロディを書く。
フィクションを紡ぐ。

創作をやっていると、自分がいたって平凡な人間であるかを、その発想が貧相なものかを、痛感する。
だから、私は自分が普通の人間だと勘違いしてしまった。

社会人になって分かった。
社会に出て分かった。

私は普通の人間の中では、必死に欠けたところを隠さなければボロが出てしまうほどの紛い物であり、普通の人間として社会に擬態するだけで、ただただ疲弊してしまう脆弱な人間だ。

かといって、社会不適合者の中で共感を得られるほど人生が詰んでもいなければ、その分非凡で傑出した才能がある訳でもない。
私のステータスはあるパロメータでは、平均よりそこそこ高く、あるパロメータでは平均よりそこそこ低いだけ。いたって平均的な人間であることに気付いた。

それでも「普通」の中にいると、
自分の欠けた部分が痛くて仕方ない。
その幻肢痛は必死に私が普通でないと訴えてくる。

だから、私は吐き出さずにはいられない。
それがたとえどれだけありふれた悩みだとしても。


普通のふりをしているけれど、
実は普通なんかじゃないこと。

愛想良く話を聞いているけれど、
実は興味なんてないこと。


ひたすらにルールがややこしい麻雀も、
ただうるさくてお金が消えるだけのパチンコも、
無駄に見栄を張るためだけの車も、
職場で派閥争いを産んでいる野球も。

先輩が今度連れてくからなと言ったキャバクラも、
女の先輩が楽しいと言っていたガールズバーも、
幼馴染がわざわざ連れ出してくれたクラブも、
同期がセッティングしてくれた人の多い飲み会も。

お金を持て余した大人がハマるゴルフも、
オフィスに入るとき大半の人が片手に持つコーヒーも、
解説文からしか情報と感慨を得られない美術館も、
みんなが挙って旅してインスタにあげる海外リゾートも。

分厚い牛タンも、吐き気しかしないウニも、
害しかないたばこも、よくわからないシーシャも。

社内の噂話も、学生時代の友人の恋バナも、
結婚することも、子供を持つことも。



実は興味なんてない。




それでも、私は普通の人間としているために、
興味があるように笑う。頷く。驚く。
たまに周りと比べてオーバーリアクションをしてしまう。
自分がどの程度反応するべきなのか、いつも手探りで顔色を窺っている。
ずっと人狼ゲームを続けている。正常な市民がどれほどの割合でいるのかもわからないこの社会で。


きっと何かの役に立つ。
私が変わることにつながるかもしれない。

創作の血肉になるに違いない。

そう言い聞かせて、
そうした回路を経て、
ようやく私は「普通」に興味を持つ。



詩を詠う。
メロディを書く。
フィクションを紡ぐ。

いつか非凡なものを世に生み出すために。





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