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大人になってから発達障がいと告げられた私たちへ。


発達でこぼこシンママのゆずです。

暑い中もうすぐ夏休みの次女。
もうここのところずっと気になって見て見ぬふりをしてきましたが…
言わせていただきます。
彼女、靴下きたない。

元は真っ白なadidas10足組(もらいもの)、
何故か片方なくなります。
←全部同じ靴下だからこれは許せる!
というか赤ちゃん時代から靴下は片方だけ
なくなる、ママならうなずくあるあるですよね。

そして、ウタマロや漂白剤をどれだけゴシゴシ
しようが落ちない。きったな
ねえ、どこを歩いてきたの。

程よく諦めたので、
今度は汚れが目立たぬよう黒ソックス
10足組を買いに行きます…。
(全部同じものを買うのは
片方ずつなくなる!と愚痴った際に
じゃあ、全部同じものを
買えばええやんとアドバイスされたので。
目からうろこがぽろぽろ落ちましたね…)


私の中の「私」が変わってしまった夏



靴下とは何の関係もないお話を。あしからず。 

私の人生観が変わった33歳の夏の話。
コロナのせいで暑いのにマスクが口の前に
張り付いて心底うっとうしかった夏。

正社員で頑張っていた会社に突然通えなくなりました。
父もしょっちゅううつを患っていたので、精神科に通うのはわりと自分の中にすぐ浮かんできた発想。
とりあえずパニック障がい(不安障がい)で
休職するという診断書をいただきました。

朝から晩まで不安がぐるぐる、私を苦しめる。

何回か通った診察のあと、
「ちょっとテストしてみようか、ゆずさん」
と心理士の方の立ち合いのもと、
発達障がいの診断テストをうけることに
なりました。
1週間後、障がい名と簡単に特徴を書いた紙を先生がくださいました。

発達障がいと、自分に”新しい名前”がついた、
そう感じました。
診断が下りて楽になった、という方もいるそうです。
でも、私は「自分は普通だったの!!」と、
そればかりに固執してしまい、
自分に向き合えなかったがために、
苦しくて、その結果を受け止められませんでした。


役所に行けば、ひらがなのるびがふった紙をもらう。
年金事務所に行けば、当事者とわかると、なぜか丁寧に
ゆっくり話される。
え、私って今まで大学まで行かせてもらって、「普通」に
人生歩んできたはずだったのに、
この診断一つで人生が変わっちゃうの…??

不安で不安で、発達障がいって何、と知るところから、
どうやって社会に生き抜いているのか、と
いうところまで、本を読み漁りました。
その後、就労移行支援所に通い、
自分と同じ障がいの方の当事者会に参加しました。
友達ができたこと、仕事になんとか就けたことで少しずつ気持ちが前向きになってきました。

うん、少し「違って」いたっていいじゃない。


みんなちがってみんないい、の意味を大人になって初めて知る


いまだに「普通」とは違うんだ、と感じるような扱いをされることもあります。
いえ、私が一番自分を差別しているのです。
「普通」と自分が決めてきたものに当てはまっておきたくて、同じ発達の仲間たちと
線引きしていたのだと思います。
自分が一番診断を受け止められていなかったのです。

就労移行支援所で、一番すぱっとものごとを言ってくださる職員の方に、
「どうして私はこんな大人になってから
発達障がいってわかったんでしょう…?もう生きづらいです…」
と泣いてしまいました。
いい年の30の女が。情けない。
すると、すっと、笑って、
どんな診断があっても、同じ人間ですよ、
ゆずさんはゆずさん。
診断をもらう前と後で、
人間変わっちゃいましたか??」

と言ってくださったのです。

あ、私は私なんだ。
ちょっとでこぼこで、いろいろ抱えているけど。


いまだに納得できなくて、
特性上理屈っぽくて、自分がいちばんこだわってて。
混乱する日もあるけれど、
もう「普通」にこだわりすぎるのはやめよう。
第一誰が決めたんだ。

発達の仲間もたくさんいます。ここnoteにも。
悩みを打ち明ける友達もできました。

生きにくい世の中、
さんざん工夫して、
笑って生き抜いていってやろう。
そう思います。
それ、私の挑戦だ。


娘のきたない靴下の話から、
こんなにまじめに語ってしまいました笑

素敵な3連休がみなさまに訪れますように。
今日も読んでいただいてありがとうございました♪
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