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「水滸伝」 〜理想を追い、夢破れし者たちの熱き物語 〜

皆様方、書き溜めていたメモから少し連投させて頂ければと思い立ち、書いてみます。題材は中国四大奇書と呼ばれる書物のひとつ、「水滸伝」です。母が最初の赴任先であった高校に出張に来ていた本屋さんから買って揃えてくれた文学書の中に「水滸伝」がありました。

「水滸伝」の何が良いのかというと、とにかく人間臭いんですね。歴史というのは人間臭くて当たり前なのですが、登場人物が108人もいるのでとにかくどの人物も個性が強烈な一方で、優しさでしたり、その裏に隠された想い、信念など現代に通ずる所があって、胸が熱くなるだけでなく、思わず涙しそうな場面も多々ありました。実際に中国出身の方々も「水滸伝」は向こうでよく「三国志」同様にドラマ化されたりするために当たり前のように読んだり、見ていたりしているようですから、知っているだけで結構話が弾みます。

そんな「水滸伝」の舞台となる時代は名君と謳われた趙匡胤が建国した宋王朝の時代です。

どんな時代だったのかと言うと、唐王朝は9代皇帝が美女に溺れて政治を「節度使」と呼ばれる武力派たちに丸投げしてしまったために最期は闇塩の売人に滅ぼされる結果となり、そんな武人たちが力をつけ過ぎた余りに国が乱立し過ぎた結果、五代十国時代という大分裂の時代に突入した反省を踏まえて、太祖・趙匡胤が官僚を中心とした文治政治を打ち出しました。経済中心の国家体制を作ったものの、「カネさえあれば何でもできる」という風潮になってしまい、武力が極端に弱くなり、モンゴル系の遼王朝に打ち負かされ、大量の金品と女といった貢物を献上し続けなければならない状態に追い込まれます。

財政赤字は膨大に膨らんでいるものの、役人たちの賄賂は留まることを知らない上に、その頂点に立つ皇帝・徽宗も芸術を極めることにしか興味がなくて、政治も全くしないどころか、財源の大半を芸術で吹き飛ばしてしまっているという地獄絵図のような状態と化しています。ただ、幸いなことに商業が発達していたために、日本においては平清盛が宋銭を日本へと持ち込み、活版印刷や羅針盤、「十八史略」が生まれるなど文化面に大きく貢献した時代でもあるので、一概に最悪の時代だったとは言い難い部分もあります。

そんな国もボロボロの状態の中、中心人物となる宋江は宋の下級役人をしながら梁山泊へと入山するための準備を始めます。そう、国に反旗を翻して宋王朝を倒して新国家を樹立しようという野望を画策します。

108人も登場人物がいますが、中心人物は12人に絞られます。最初は完全に甘く見られていますが、向かってくる敵軍を苦しみながらも蹴散らし続け、遂には10万人近い軍勢を出しても勝てず、全力で叩き潰そうと大軍を更に繰り出しますが、梁山泊側も犠牲を出しつつも、何とか撃退し、組織は人材を失いつつも、また増強し、また失い、また増強しての繰り返しでいつしか何万もの軍勢に達しますが、組織が膨れれば待っているのはいい事ばかりではないのは万古不易の法則なのでしょうね。

幹部同士の方向性の対立、陸軍と水軍の連携面での対立、人員配置の問題、現場と指揮側の齟齬が発生したりと組織が大きくなるにつれて抱え出す問題もよく書き出しています。対する北宋王朝も巨大組織だからこそ、一枚岩になり切れない問題を抱えており、組織内での壮絶な派閥争い、部分最適化の弊害噴出、美女に溺れ出す幹部が出てくる、中心核となるべき軍隊が弱いという根本問題を抱えており、どんな組織も問題が大なり小なりあるのだということを改めて教えてくれている気がします。

そうこうしている内に北側の遼が弱体化してきているので今の内に叩いて、遼に奪われてしまった北側を女真族の金(後の清王朝の先祖たち)と共に挟撃して奪おうとします。しかし、北宋王朝は遼と戦って何度もボロ負けしたことからも分かるように兎にも角にも軍隊が弱い。役人たちも賄賂漬けになっていてどうしようもない。こうなれば背に腹はかえられぬということで、北宋側も梁山泊と和睦をして取り込もうと画策します。梁山泊内でも意見は完全に割れた結果、官軍となることを決断します。出口が見えない戦いをし続けるよりも、国内で壮大に殺し合うよりも和睦をしてでも生き延びるべきではないか。戦うべきは同じ国の人間同士ではないことに気付かされたのかもしれません。ここは意見が分かれるところかもしれませんが、僕としては宋江の決断が分かる気がしますし、僕が宋江の立場ならそうするかもしれません。宋江は李師師という、徽宗がベタベタに愛している愛人でもある舞妓を通じて官軍へなろうと画策します。これがうまく行き、徽宗が勅令を出す所へ持っていくことへ成功します。皇帝から命令が正式に出た以上は逆らえば待っているのは死でもあり、反逆者としての汚名ですから嫌々でも聞くしかない。波乱を含みながら梁山泊は官軍となります。

いよいよ遼を挟撃するという状態の中、タイミングが悪いことに南側で方臘と呼ばれる人物が10万人規模の大反乱を起こします。その南の地へ鎮圧に向かわされるのが梁山泊の面々でした。北宋王朝としては遼での戦いに戦力を割きたいので、「お前たちで方臘を討て」ということです。当然、戦いとなりますがこの方臘の軍勢はとにかく強い。108人の英傑たちは次々と死んでいき、最期は30人弱となり、途中、疫病となったり、傷が元で死んでいき、最終的には20数人となってしまい、これ以上はもう無理だということで宋江は梁山泊の解散を決意します。そして、自身は南へ赴任することになります。

北宋王朝はどうしているのかというと、挟撃しようと持ちかけながらも自らの軍勢は金と違って、またもや遼の軍勢に連戦連敗でこのまま行けば総司令官の童貫を始めとした幹部たちは処刑されて当然の状態へと追い込まれます。金の頭領である阿骨打に取引を持ちかけて何とか遼を撃退しますが、そんな状態ですから、今後、宋江に活躍されたら自分たちの立場はなくなる。

そう思った童貫を始めとした奸臣たちは宋江に毒酒を賜ります。つまりは毒を飲んでこの場で死ねということです。そこで宋江は片腕の李逵を呼び寄せてその酒が毒酒だと知らせずに共に飲みます。飲んだ後に李逵に「この酒には遅効性の毒が入っている。黙っていてすまない。私一人で死ぬことはできたが、そうなればお前は必ず反乱を起こす。そうなればまた国は混乱するから、そうなってはならない。だから、お前と共に死ぬことにした」と李逵に告げます。李逵もそんな宋江の本心を察していたのか、「兄者がいないなんて考えられない。ならば俺も喜んで兄者にお供致します」と答え、「我らは清き志をこの世に残そう」と互いに話し、そのまま息を引き取るという最期になります。

その後、北宋王朝はやはり金が広大になっていくのが怖かったのか、遼と組んで、今まで組んでいたはずの金を攻撃しようと画策します。金を倒した後に遼を倒して丸ごと中国を再統一しようと考えたのでしょう。ただ、そんな目論見は金が遼を滅ぼした際に捉えた遼の皇帝宛の北宋からの密勅でバレてしまい、激怒した金の皇帝が北宋を全勢力を持って攻撃し、徽宗を始め、その息子も一族も女性たちも丸ごと捕らえられ、金銀財宝も丸ごと奪われ、首都も蹂躙され尽くし、生き残った王族たちは江南へと何とか逃れて、南宋王朝を樹立して再起を図ります。図るものの、全く金王朝には歯が立たず、もうどうしようとないかと思われた矢先に南宋に最強の将軍と謳われた岳飛が登場する訳ですが、これはまた別の話です。

こうして「水滸伝」は北宋王朝の滅亡とセットで語られる話ですが、最初は志を抱いていてもやはり現実というのは大きく変わってしまうもので、それが良いのか悪いのかは分かりませんけれども、梁山泊側も官軍となる道を選んだのは苦渋の決断の末だったようにも感じます。北方謙三さんの「水滸伝」ではより格好よく描こうと梁山泊は最後の最後まで徹底抗戦をし続け、陥落するまで戦い続けてその続きとなる「楊令伝」へと物語が続いていく流れとなっているように実際の「水滸伝」とは全く違う創作のストーリーを完成させています。

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僕は北方水滸伝を読んでつい涙しそうになっただけでなく、僕自身のバイブルとなりましたので、北方謙三さんには感謝申し上げたいところであります。

最終的には苦しめてきた金王朝も強大化したチンギス・カン率いるモンゴル帝国に滅ぼされ、南宋王朝もモンゴル帝国に滅ぼされます。残酷なまでの諸行無常の歴史ですが、この時代に生きた人達の行動は無意味だったのかと言うとそうではないと考えています。

「水滸伝」は創作ですが、宋江も童貫を始めとした奸臣たちも実在した人物たちで、宋という時代を自分たちなりに何が正解なのか、何が間違いなのか分からないながらも必死に生き抜こうとしていたのは間違いないでしょう。一人一人の命の輝きが、熱量が読む人たちの心を動かしてきた。それは今も尚、変わらないのでしょう。どんな時代であれ、逞しく生きぬいた人たちがいた。それはコロナウイルスで苦しむ現代社会においても示唆を与えてくれるのではないかと思われます。

雑文となりましたが、そんなことを思いながら綴ってみました。

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