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気付けば農業を始めて10年経っていた話

皆様方、いかがお過ごしでしょうか。僕の方は夏野菜の植付や管理に追われております。先日はサツマイモや万願寺とうがらし、ピーマンといった作物の植付に追われておりました。正確に言えばアフターフォローの仕事が多かったように思います。

気付けばワーカーだった頃を含めて、僕が農業を始めてから10年の時が経ちました。ようやくそれなりに一端の農業者と呼べるかもしれません。いいこともありましたし、もちろん上手くいかないことも沢山ありました。今思いかえせば「もっとこうしていれば今頃は違ったのではないか」と思うこともあります。ただ、その当時にはその当時の状況も環境もあって、その時はそういった決断しか出来なかったのだろうと今ならば振り返ることができます。あれはあれで充実した時間だったのだと思うことにしました。

10年経ってみて分かったことは生き残るというだけで価値があるのだということです。僕よりもセンスのある方々は今までもたくさんいました。ただ、そういった方々も次々と辞めるなど、今となっては残っている人は数えるほどしかいない状況でもあります。

振り返れば僕も昨年の年始頃まで「やれる」という自信はありませんでした。あるのはただ、歳を重ねたという事実のみだと考えていました。胸を張れるだけの実績は当然なければ、何をどうすればいいのかも分からない状態でした。自分のスキルは何なのだろうかと考えた時に昔のことが浮かんできました。始まりの頃の話です。

あの頃を振り返れば、母から借りた資金でダイハツの軽自動車を買って、津久井の農家さんの元へと手伝いに行った頃は自分がどんな風になるのかなど想像できるわけもなく、やる気もありませんでした。そんな男に居座られても邪魔だったのでしょう。群馬に放逐され、群馬の方々に良くして頂いて、神奈川へと戻りました。ここに至るまで僕は経験してきたことと言えば言われるがままに作業してきたことだけでした。しかし、Oさんが抜けてしまった中では何とかしなければならないという一心でした。

自分でやらなければマズい状況に置かれた時に自分なりに調べ、実行し続けたりしたことで少しずつでも結果が出ると自信が付いてきました。僕も含めて人生は様々なことがありますが、小さいことから自信を付けていけばどこかのタイミングで大きなところへと行けるのかもしれないという感覚をつかめたことも大きいように感じています。

農業を始めたばかり頃の僕は当時、24歳でした。24歳の僕は家族から見ても「将来がまるで分からない男」だったでしょう。僕自身も今現在に至るまで、生き残ることができるなど考えても見ませんでした。ただ、毎日必死で走り続けてきたらこの場所にいた。それだけの話なのでしょう。農場に来たばかりの頃に経営危機に直面して、人が豹変する。ないしは平気で裏切っていく人も数多く居て、食い物にしようと近付いてくる人たちもいました。今振り返れば、あの頃に匹敵する地獄のような状況というのはないように思います。生き残れたからこそ振り返ることが出来る訳ですけれども、もっと自分もあの頃に力があれば出来たこともあったかもしれない。違う農場の未来もあったかもしれない。後悔はありますが、それでも進んでいかなければならないですし、それが生き残った僕の宿命であり、去っていった方々へのケジメではないかと考えています。

10年生き残ることが結果として出来ました。これと言って感慨は湧きませんが、津久井の農家さんとあの頃に受け入れてくださったパソナの高崎支店の担当者様と群馬の関係者の方々がいなければ僕の今はありませんでした。そして支援してくれた母を始めとした家族。代表とSさんと出会う以前の話も振り返れば、それだけのエピソードがあります。東京から去って、数カ月間は無職同然のフラフラした暮らしをし、偶然見つけた手伝いの紹介をされたことから始まったことが今となっては懐かしく思います。昔の記録もクラウドに保存されていて、今となってはもういないメンバー。会うことが難しくなった人たち。仲違いした関係者。何も言わずに去っていった相方。こうした人達の記憶も呼び覚ましてきますし、彼らから見ても今の僕は変わり果ててしまったかもしれない。けれども、もう昔のような農場には戻れるはずがない。戻れないからこそ、これからの農場をどうしていきたいのか。考えて実行していかなければならない責任があります。そこから逃げずにより一層向き合っていくつもりです。

そして、この10年間は自分を殺してでもやってきたつもりです。周りから見れば「アイツは一体何をやっているんだ」と言われてもおかしくないような状態だったことでしょう。しかし、結果として何度も書いておりますが、生き残ることが出来ました。時が経ってみて、少しずつではありますが、自分のことを振り返ることが出来るようになってきました。そして、これからもことも考えられるようになってきました。そろそろ自分の人生も充実させていっていいのかもしれないと。

個人的にやりたいことも沢山出てきました。こればかりは自分自身でどうにか出来る問題ではないのですが、願わくば生涯の伴侶を得たいと考えるようにもなってきました。自分自身がようやく落ち着いてきたこともあって、「何をするにも遅すぎることはない」と言い聞かせて、自分を磨いていこうと考えています。幸いなことに僕自身は働くことが好きですし、やるべきことは山程あります。あれこれ考えるより前に一つずつ、取り組んでいきます。

これから先、10年後に何があるのかは分かりません。「こんなこと考えていたのか」ということを振り返るためにも今、改めて記録としてここに残すことにしました。最後になりますが、去っていった人たち。そして、これから農場に来るかもしれない人たちにも恥ずかしくないような場所にするためにも。そんな農場にするためにもこれからより粉骨砕身、気張っていきます。

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