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マトリョーシカの猫

その、猫にしては大きな体躯のメンデルは研究室で飼われている人懐っこい雑種で、胴の中程から前後できっちりと毛色が違う。

彼がみつゆび座りするとそのラインが、体を上下二分割するように見えることから、マトリョーシカのように上下にカパッと開いて、中から一回り小さい猫が出てくるのだと、研究室ではまことしやかに言われていた。

私が研究室に入った時から成猫だったので、一体いくつなのかもわからない。いつも研究室の中を自由に闊歩して、気ままに人にちょっかいを出しては、可愛がられたり疎まれたりしている。

人員の入れ替わりが激しい研究室だからか、偶にOBがやってくると必ずメンデルのことを聞いてくる。時々違う名前で呼ばれるけれど、あのマトリョーシカの、という部分は一致しているので、おそらくは彼がここで一番キャリアが長い。

私は別段、猫好きというわけではないけれど、作業する手元を彼から熱心に眺められていると、何だか期待に応えなければならない気持ちになって、仕事にも少し熱が入る。そして程なく飽きて、彼の猫はどこかへ行ってしまう。

研究室外でも彼のツートンカラーに関する伝説は色々とある。曰く、交通事故で死んだ2匹の猫を繋ぎ合わせた、染色の比較実験に使われた、半身を土に埋められていた、等など。我が職場は如何に謂れのない臆断に曝されているか、わかるというものだ。

そもそも何故、研究室で猫が飼われているのかについて、人では最古参の室長でさえ知らず、また気にしてもいない。スタッフの中には気になっているものもいるけれど、その疑問を誰に問えば良いのかもわからない。彼の素性は、無関心という厳重なセキュリティに守られている。

今年もまた異動の時期がやってくる。たぶん、私も別の部署へ移ることになるだろう。そして、研究室の大柄で奇妙な体色の猫はまた一世代分の謎と伝説をマトリョーシカのように纏い、よりミステリアスになっていく。

いつか私も、彼を知るひとりとしてこの場所を訪れた時は、尋ねることになるかもしれない。

「あのマトリョーシカの」

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