見出し画像

食べたいくらい愛してる

私が彼を食べる計画を立てたのは、半年ほど前のとある月曜日。

検査実験のためヒトの細胞の検体が必要になり、その志願者として彼が名乗りを上げた。私は一度検体を失くしたことにして、2度目の検体採取を依頼し『彼』を手に入れた。

彼が研究室にやってきたのは今春。成人男性としては華奢な体格でまだ高校生と言っても通じる童顔に、笑うとかわいい笑窪ができる。芸能人で言えば、と言いたいところだけど、私はそういう方面にとんと疎い。

一目惚れ、とまでは行かないけれど、私の緩やかな好意が半年を経て熱を持ったとしても仕方ない年頃である。そして、一周り弱の年の差もあって恋愛対象としては見て貰えないだろうことも十分にわかっている。

自身の感情とその行末を客観的に鑑みていくと、このままでは遠からず拙いことになりそうな気がしていた。多分、そういう性格だと思うのだ。

そこで一計を案じた結果、彼を捕食することで、このドロドロとした感情を消化、いや昇華できるのではないかと考えた。とはいえ、喪っても問題ない食べられる部位を彼が持っているとしたら、流石に別の研究対象となってしまう。
そこで考えたのが培養肉。彼の組織を培養して育て、程よく育ったところで食す。これしかない。

出来得る限りの質の良い培地を用意し彼の体組織を移す。自分の血から作った血清に浸す。廃棄予定の血清を使うことも考えたけど、足が付きそうなことは避けたかったし、最終的に口にすることを考えると誰のものかわからない血を使いたくないというのもある。研究室では見つかる可能性が高いので自宅で保管するため、中古のインキュベーターも買った。中途半端な大きさのものしかなかったから、遊びに来た門外漢の友人には小型の冷蔵庫と間違われ缶ビールを入れられそうになった。まぁ慌てた。

そういう訳で肉を見守り、育てるというミッションが私の日課に追加された。とはいえ、基本的には日が経ったら血清を入れ替え発育を見守るという、日頃の業務の延長、残業みたいなものだ。

そうして季節は変わり、3ヶ月。『彼』は一口大の肉として十分な存在感を持つに至った。正に食べ頃とも言える。

さて、私は『彼』を美味しく食べたのか。

否。

結局、食べることができなかった。端的に言えば、情が湧いたのだ。自分もよもや、それこそ、動きもなく感情もなく見た目通りの肉塊にそんな気持ちになるとは思ってもみなかった。

でも、彼の細胞を私の血を使って育てたということが、まさかの母性(自分にも芽生えるとは!)を生じせしめ、ピンク色の肉塊に愛おしささえ感じてしまうヒトの性に恐怖さえ感じる。我ながら。

そういう訳で『彼』は咀嚼を免れ、ホルマリンに漬けられて私の書棚に並ぶことになった。

ただ、当初の目的は結果的に別の形で達成された。今、私の目に映る彼は、恋愛対象ではなく庇護対象である。まぁ極めて変則的な、母としての自覚により。それはそれで悪くない。


この作品は、以下の記事を妄想ソースとしています。
もしかするとありえる話、ということです。


あなたのリアクションが何よりのサポートです。