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菜食主義者

大学受験の為、僕は新婚の兄の家に厄介になることになった。
兄に会うのは久しぶりで、色々と話したいこともあったから、
受験という名目ながら、ちょっと楽しみにしていた。
ところが兄は帰りが遅いらしく、
僕が家に着いた7時にも、まだ帰宅していなかった。
迎えてくれた兄の嫁は線の細い美人で、
顔合わせで会ったきり、ほとんど初対面の僕はどぎまぎした。
促されて中に入ると、とっくに夕食の支度は出来ていて、
兄が帰れば晩餐はすぐにでも始められる状態だった。
義姉はそのままキッチンまで行くと、思い付いたように振り向いて言った。
「……冷めるから、いただきません?」
「あ、はい」
結局、僕と義姉は2人で食卓を囲むことになった。

頂きますと言った後は、2人黙ったまま。
食器の音だけが、キッチンに響く。
義姉とは、あまりにも面識が無いから何を話していいか判らない。
おまけに義姉は、今日はどうも虫の居所が悪そうだ。
でも、この沈黙は耐え難い。
とりあえず、僕は口火を切った。
「兄さん、遅いですね」
「……」
「今日は残業か何かですか?」
「……」
答えてくれない。これならいっそ、話し掛けない方が良かった。
沈黙はより重くのしかかる。

かちゃ、かちゃ、かちゃ…

「……あの人、凄いベジタリアンでしょ」
つとに、義姉は小さい声でそう言った。
先の質問とどう繋がるのか判らないが、せっかくの話の腰を折りたくない。
僕はすぐに答えた。
「そう言えば、そうでしたね」
「やっぱり、昔からなの?」
「そうですね、結構昔からです」
小学生の頃などはあまりに肉料理を食べないものだから、
母が兄の分だけ別に用意していた位だった。
小さかった僕は、そのことがとても不思議だったことを覚えている。
「でも、最近っていうか、
 中学くらいからは、そんなに酷くはなくなったと思うんですけど」
「……そうかもね、私も結婚するまで知らなかったもの」
「また、極端になったんですか?」
「うん。最近なんか、2人別に作ってるもの。夕飯」

義姉は、テーブルに肩肘をついてあごを乗せた。
軽い溜め息と共に、視線は遠くを見詰める。
「それでね、昨日大喧嘩しちゃったの」
なるほど、義姉が不機嫌な理由も、
兄がなかなか帰ってこないのも判ったような気がした。
「私、昨日も2人別に夕食を用意したの」
「あ、お手数掛けます」
「あなたが恐縮してもしょうがないわよ」
義姉はふふと笑って、続ける。
「それで、普段通りに食べてたんだけど、
 ちょっと食べた後であの人が怒り出したの」
「?何でですか?」
「『お前も肉を食べるな!』って。突然」
「……会社とかで、何かあったんじゃないですか?兄さん」
「かもね。帰ってからずっと不機嫌だったし」

義姉の視線が、僕の手元に落ちる。
「あ、おかわり、いらない?」
「いえ、いいです」
「良いのよ、遠慮しなくても」

軽く伸びをして、義姉は続ける。
「さすがに私もかちんと来ちゃって、初めて夫婦喧嘩」
「はぁ」
「凄かったのよ、ほんとに」
「でも、怪我とかしてませんよね」
「うん、まぁ口喧嘩だったから」

「お互いに、売り言葉に買い言葉。
 最後は全然関係の無いことで、罵り合っちゃって……」

しばらくの沈黙。
僕は、料理に手をつけることも出来ず、義姉の次の言葉を待った。

「でね」
一息置いて、お茶をちょっと啜る。
「……ころしちゃったの。思わず」
真顔でそう言うと、じっと僕の目を見つめる義姉。
そうやって、突然くすくす笑い出す。

どう返していいか判らず、僕は愛想笑いをして話題を変えた。
「そ、それにしても、料理お上手ですね!」
「あら、ありがと」
「特にこのシチューなんか、絶品ですよ」
「おだてても、他には何も出ないわよ」
そうは言っても、嬉しいらしい。
僕は思わず調子に乗って、さっきから気になっていたことも聞いてみた。

「ところで、この肉、面白い味ですね。なんの肉なんですか?」
すっと、義姉の表情から明るさが消える。
少し間を置いて、義姉はにっこり笑った。

「草食動物の肉よ」

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