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【コラム】ファミコンの日

7月15日はファミコンの日らしいということを、noteで知るハメになるとは思ってなかったんですが、それと言うのも以下のような画像まとめをアップしていたからに他なりません。

どうです、ファミコンの日にふさわしいではありませんか。まぁ、冒頭に書いた通り投稿するまで知らなかったので、ほんとに偶然なんですけど。

せっかくだから、ファミコンの思い出話も書いておきましょう。

ファミコン発売当時は、だいたい小学校高学年だったと思うんですが、それまではカセットビジョンとかスーパーカセットビジョンとかカラーテレビゲーム6とかでしかテレビゲームは触ったこと無くて、大体の小学生はゲームウオッチとその亜流位しか持ってないころです。

まぁゲームウオッチもだいぶ下火になってきた頃だったと思うんですけど、はじめてファミコンが動いてるのを見た時の衝撃たるや、正直覚えてないんですけど、たぶん今ならPS5見た時よりすごかったんじゃないかと思います。だって、ほぼ0をいきなり100にしたようなもんですから。

PS4がPS5になって100000000が105000000とかになってるとしても、すごいっちゃすごいけど、声が出るほどじゃないんですよ。それがファミコンだったら、イエェェェェェェエ!!!って漏れちゃう位。ほぼ0って言っちゃうとスーパーカセットビジョンには申し訳ないけど、とにかくそれ位の衝撃なんです。一応、SCVの名誉のために言わせて貰うと性能はアレだったけど、後年はFCに追いつけ追い越せたらいいなの感じで頑張ってたので、単にやる気が足りなかったのだと思う。

そこまでの衝撃的存在です。そりゃ、ファミコン持ってるから、というそのひとつの理由で歩いて1時間は掛かるそんなに友達でもない子のウチへわざわざ出向いて、そんなに友達でもないから微妙に居心地悪い思いをしつつ、そんなに友(略)からあんまり遊ばせて貰える訳でもないので後ろから見てるだけだったりもしたのに通ってたりしますよ。

あと、めちゃめちゃ家の中が汚くって足の踏み場もない位のゴミ屋敷のウチの子のとことかにも色々我慢しながら行ってたこともありました。子どもは本当に後先を考えないのです。

思えばファミコンをすぐ買ってもらってた子のウチは基本的に鍵っ子で両親ともに家にいないことが多かったから、親の罪滅ぼし的なニュアンスがあったんだろうなと思います。あと、子どもが集まりやすかった。

ともあれ、そんな下積み時代を経て、ついにとある初売りの日、お年玉を握りしめて今は亡きおもちゃのバンバンへ、ファミコンを買いに行ったんですよ。嗚呼、なんたる僥倖、なんたる物怪の幸い、なんたるチアサンタルチア。

ちなみに一緒に買ったのは「影の伝説」です。なんかもうすごいジャンプする忍者のゲームですね。続編は何故かインドっぽくなった「不動明王伝」です。恐らくご存じない。

初めて買った自分のゲームである「影の伝説」、通称「影伝」は親友のTくんと散々に散々を重ねて遊び尽くしたと言っても過言ではないのですが、なんやかんやで霧姫の十二単は見れませんでした。コンティニューもできないのに2周とか小学生には無理。

実はファミコン持ってた子は全盛期でも田舎だからかなとは思いますが自分の周りでは案外少なくて、カセットの貸し借りも結構遠くのそんなに友達でもない子とか上級生とやりとりしてたりして、いろいろあったりしました。

やさしいけど怒るとめちゃめちゃ怖い上級生から借りたテグザーをつい出来心で又貸ししてしまい、その上級生から返してと言われてから大慌てで又貸し相手に返して貰いに行ったりとか、カセットを買ってくれるというのでゴミ屋敷の子に売る話になったものの、なかなか買ってくれず、家に直談判に行ったら親御さんからすげぇ怒られたらしく号泣しながら玄関先に来て、結局親御さんが払ってくれて気まずい思いをしたとか、単に苦手で怖い上級生からファミコン本体貸せって言われて渋々貸したら、返して貰った時にRFケーブル(テレビに接続するところ。繋ぐたびに短くなりがち)がめっちゃ短くなってた上に何故かその上級生の弟の名前入りのブリーフが一緒に袋に入ってたりとか、まぁ思い出したら枚挙に暇がない。

何しろ、ゲーム狂時代と呼ぶに相応しいアーリィ青春時代を経て、なんやかんやでゲーム業界に入ったり退いたりしたんですが、まぁそれはまた別の話。

ファミコンという稀代の名機に幼くして出会い、共に過ごし、そして未だ腐れ縁が続いているという自分の世代は、ほんとにファミコン世代なんだろうなぁと思います。

改めてこのファミコンの日に言おう、

偉大なるすべてのファミコンに幸あれかし!!

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