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オドラデクのこと

父が酔っ払ってそれを拾ってきてから、もう1週間が過ぎた。
最初はそれがなんなのかよくわからず、ただのゴミだと思っていた。実際、私はそれをゴミとしてそれなりの扱いをした。ゴミ箱に放り込んだのだ。

ところがそれときたら、翌朝にはゴミ箱から出ていて、リビングに転がっていた。加えて、昨日見たときより色とりどりの糸くずに塗れている。私は流石に不思議に思い、二日酔いで具合の悪そうな父に聞いてみた。

「あれはオドラデクだよ」
そう言って、二日酔いの薬を炭酸水で呷る。そして咽る。

オドラデク。聞いたことあるようなないような。

とりあえず、その名をネットで検索してみると、どうやらカフカの短編に出てくる奇怪な生き物?らしい。確かに青空文庫で訳文を読んでみると、その描写は正しく目の前のガラクタを表現しているように思える。

「OK、オドラデク。君はどこから来たの」
試しに、スマートスピーカーへやるように話しかけてみた。反応はない。そもそもこっちだって何がOKなのかもわかってないんだから無理もない。

「ヘイ、オドラデク」
今度はApple風にそう語りかけるとそれは、ちょっと身震いしたように見えた。
「踊って」

その糸くずをまとったガラクタは一呼吸置くと、棒を軸足にしてくるくると回りだした。ほつれたカラフルな糸を靡かせて、くるくる、くるくる、コマのように回り続ける。そうして回転スピードが上がってくると、何だか言い知れぬ恐ろしさを感じて、つい止めるよう伝えてしまった。

それは数秒できちんと止まり、糸くずはまたその躰にまとわりつく。それなりに意思の疎通が可能なことは確認できた。ここまではお話の通りだ。そうなるとカサカサという笑い声も聞いてみたい。

「ねぇオドラデク、君はどこに住んでるんだ?」

「わからな い」
カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ

笑った、のかな。カサカサという音は確かに聞こえる。と同時に何だか、道で会った芸人に持ちネタを披露させているようで、ずいぶん申し訳ない気持ちになった。

ひとくさり笑いながら、それは棒と躰の縁で器用に部屋の奥へ移動して、私の前から姿を消した。後から姿が見えなくなった場所を見に行ったけれど、何の痕跡もなく、それは居なくなっていた。

その後しばらくは我が家の中で見かけることはなかったけれど、きっと別の家で過ごしているだけ、またここに戻ってくるだろうと思っていた。

けれど待てど暮らせど、それは現れる気配もなく、ついに1年近くが過ぎてしまった。

結局、その物語の主人公は自分だと思っていたけれど、よく考えてみれば、それが偶々現れたよそのウチの方、という可能性の方が大きい。私は物語の中で仔細も描写されない「別の家」の住人なのだ。

それに気付いてから私はなんだかひどく寂しくなって、それに似たものを幾つも幾つも作ってみるようになった。どれかひとつ位、動き出さないかと思って。

「オドラデク、帰ってこないね」
「帰る、というのはまた手前勝手なことだな」
「そうかもしれないけど、父さんは気にならないの?」
「まぁ何考えてるかわからん、そもそも考えてるのかさえわからんからな」
「気になる以前の話ってことか」
「それより、父さんはあれに掛かりっきりのお前の方がよっぽど心配だよ」
「なるほど、それこそ『家父の気がかり』ってことだね」

カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ


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