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水詠
あのね。
最近、水泳、始めました。
スイミングクラブに、行ってるんです。
そう、彼女は俯き加減でとつとつと話し出す。
ほぅ。
そうですか。
泳ぐのは、得意なんですか?
私は、彼女の隣に腰掛けて、俯き加減で問う。
ううん。
全然です。さっぱり泳げません。
…でも、浮かぶのは好きです。
彼女はふるふると首を振って、そう応えた。
それじゃぁ。
スイミングクラブでは、いつも浮かんでるんですか?
ぷかぷか、っと。
冗談のつもりで、私はそう聞き返す。
ふふふ。
そうですよ。ぷかぷか、って。
気持ち良いのですよ。これがまた。
彼女は掌をひらひらさせて、少しうっとりした顔をする。
ほほぅ。
気持ちよさそう、ですね。とても。
羨ましいな。
私は目を細め、彼女をみつめる。
あおむけになって、ですね。
ほわほわって浮くんです。
そうすると、聞こえてくるんですよ。
目を閉じて、彼女はゆっくりと空を見上げる。
?
そうすると?
何が、聞こえてくるんですか?
私は、少しだけ首を傾げていたかもしれない。
水の、うたう声。
はわーん、はわーん、って聞こえてくるんです。
はわーん、はわーん、って。
彼女は目を閉じたまま、耳の奥のその音を懐かしむようにちょっと微笑む。
ほぅ。
水の詠う声、ですか。
正に水詠、と言う訳ですね。
私は、目を閉じたままの彼女を、優しく、みつめる。
え?
はい、確かに水泳です。
くらげのように泳いでますよ。ふふ。
彼女はこちらに向き直り、ゆっくりと目を開いて優しく笑う。
なるほど。
酷く楽しそうだ。
ご一緒したいものですね。是非。
私もつられて、ふふ、と笑う。
はい、是非。
…水着は、お持ちですか?
どんなものでも構いませんよ。
こちらを見上げて、そう問う彼女。
あぁ。
確かに、水着、必要ですよね。
生憎、持っていません。
私は自分の粗忽さに、思わず苦笑いしてしまう。
多分そうかな、と思いました。
一緒に買いに行きましょう。
…良くなったら。
彼女の眉が、ちょっとだけ哀しく動く。
えぇ。
良くなったら。
是非。
つい、逸らしそうになる視線をぐっと堪え、私は微笑む。
はい、そうしましょう!
…では、そろそろ病棟に戻らないといけませんね。
日差しも、ちょっと強くなってきたし。
彼女は額に手を翳して、空を見上げる。
はい。
そうしましょうか。
……来てくれて、ありがとう。
彼女は、眩しそうにこちらを見て、にっこり、微笑んだ。
その夜。
私は殺風景な病室のベッドで、波間にゆっくりとたゆたう夢を見た。
そして確かに、水のうたう声を聞いたのだ。
はわーん、はわーん、と。
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