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「バイト」と「社長」の掛け持ち。
僕は起業した。そして同時にバイトを探した。
周りからはたくさん心配され、バカにされた。。

僕は、
何の事業をするかを決めずに
会社を立ち上げた。

今までたくさんの社長に会ってきたが、同じタイプはあまり見たことがない。
大体、それぞれ得意な領域があって、その分野で起業をしているからだ。

例えば、料理が得意な人は飲食店、プログラミングが得意な人はアプリ開発とか。

僕の場合、
「社長になりたい」という気持ちだけで
会社を立ち上げたようなもので、何をやるかなんてことは考えてもいなかった。

会社を立ち上げてすぐ、僕は立ち上げメンバーの3人にこう告げた。

「みんなの生活があるだろうから、まずは、それぞれバイト先を探して欲しい!」と。

起業して、一番始めに発した言葉がそれだったと思うと、自分で自分に驚きを隠せない。

とにかく、何をやるかも決まっていないし、収益の目処もない。

まずは、それぞれ食いつなぐためのバイトを探してもらわないと、といった感じだった。
逆の立場になると、なんとも先の思いやられる話である。

とにかく、それぞれにバイトを見つけてもらって、バイト以外の時間を起業した会社に割いてもらうことにした。

ただ、お金のためだけじゃなく、客層や接客スキルなどを考えて、必ず何か+αのあるバイトにすることが条件ということにした。

1人は代官山のハイエンドなカフェ、1人は高級ホテルマン、1人は現場の管理職、そして僕は銀座の日本一高いカラオケラウンジのお店。

それぞれバイトをしながら、
3ヶ月ほど経ったある日、一本の電話があった。

「新しく会社を立ち上げたらしいね!お祝いに何か仕事をお願いできればと思うけど、ホームページとか作れるの?」と。

僕は、迷うことなく
「はい!もちろんです!なんでも作れます!」と答えた。

そして、御徒町にある宝石屋さんのホームページをお願いされることになった。

もちろん、ホームページなんてものは作ったことはない。

ただ、僕の周りには幸い、優秀な仲間がたくさんいた。もちろんホームページが作れる友達も。

僕「ホームページを作ってほしいと言われたんだけど、たしか○○って、ホームページとか作れたよね?いくらぐらいで作れるかな?」

友達「モノにはよるけど、詳細を教えてもらえれば見積もりするよ。」

僕は相談してくれた社長のやりたいことを聞いて、必要な情報をまとめて友達に送った。
何度かのやり取りののち、ホームページが完成した。

これが独立起業して、初めての仕事だった。
数ヶ月かけて作ったホームページの利益はたった数千円だった。

この話は初めて投稿したnoteで少し触れたけど

作った(正式には作ってもらったw)
ホームページを見て、お客さんはすごく喜んでくれた。

この時に気づいたのは、
お客さんからお願いされたことや課題を
僕だけじゃなく、「僕や僕の周りの方々のすべての力を使って解決ができたならば、お客さんに喜んでもらえる」ということ。

お客さんと、
納期、予算、クオリティーの約束が守られれば、ご満足を頂けるということ。

なにも、すべて僕がやる必要はないんだ、ということを知った。

それから数日後、お客さんから電話があった。

お客さん「ちょっと話したいことがある。」
何か不具合があったかな?怒られることでもしたかな?と恐る恐る向かうと、そこで驚くべき話があった。

「ホームページの件、ありがとう。君はすごいなぁ、ITの風雲児だ。今後はITの時代がくる。うちには君みたいな人材が必要だ。よければ、うちの役員になってくれんか。」と。

心の声【まじか、もう既にバリバリITの時代だよ!ホームページをもってるなんて当たり前!え、俺?風雲児?!ITのこととか全然わからんけど!!】と心の中で思いながら、

「もちろんです!僕にできることであればなんでもお任せください!」と
もう1人の自分が自信満々に応えていた。

そんなこんなで僕は、
自分の会社で何の事業をやるか、まだ決まっていない中で、数十年続く、老舗の宝石屋の役員になることになった。

「役員報酬はいくらがいい?」と聞かれ、
僕は咄嗟に
「役員報酬はいりません。僕が価値を提供できたときに相談させてください」と言った。

心の声【おいぃ!何言ってんだぁ!もらっておけよそこはぁぁあ!!】

さすがに言った以上は、
価値を生まないといけない。

色々調べて、色々聞いて、できることから貢献しようと思い、まずは現場を知って、現場から変えていこうと3店舗あったお店を見て回った。

現場の仕事内容は単純。
お店に入ってきたお客さんに対して、天然石や宝石を測り売りして、お金と対価交換するという仕事。

現場を見て、たくさん気づいたことがあった。
挨拶もない、笑顔もない、接客もなってない。
ショーケースも綺麗ではなく、雑多に置かれている。。

僕は社長に交渉することにした。
「僕の役員報酬はいりません。ただ、まずはITを活用する前に現場から変えていかないといけないと思います。3店舗の店長をうちのメンバーにやらせてもらえないですか?1人20万円でいいので、給与の支払いをお願いします。」

社長は快くOKを出してくれた。
20万円×3人=60万円/月の売上げ
が立つ仕組みができた。

それぞれ1人につき
15万円を支払い、余った15万円を家賃に充てて
オフィスを借りた。

僕の報酬はなし。
夜22:00-朝5:00まで銀座でバイトをし、
10:00から会社に行く生活が続いた。

バイト兼、社長。
友人には小バカにされたり、心配されたが、
逆に、バイト先に来るお客さん(主に経営者)は僕のことを面白がったり、話に興味を持ってくれたり、親身になって話を聞いてくれた。

成功して銀座で飲まれている方々の
今までの経験や失敗談の話を聞けたことは
すごく貴重な経験になった。

やはり、成功されている経営者の多くは
それ以上に、かなり多くの失敗を経験されていて
僕に対して色々なアドバイスをくれたのだが、

要約すると
「たくさんチャレンジして、たくさん失敗しなさい」
ということだった。

それ以降、僕はその言葉を胸に、
たくさんチャレンジをしてたくさんの失敗と
少しの成功体験を積むことになる。

バイト兼社長の生活が6ヶ月ほど続いた頃、仕事が紹介だけで回り始めた頃、ようやくバイトを辞めて会社に専念することにした。

ここからがようやく、
本格的なリアレーションの始動である。



今までは、背景などを記事にしてきましたが、
次回の記事では今目指していることや
やっていることについて記事にしていきたいと思いますので、次回の記事も楽しみにして頂けると嬉しいです。

今日からまた1週間、頑張りましょう!

最後まで、お読み頂き、ありがとうございました。

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