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僕は、「大学を辞める」そう決めて、
親を説得するために、地元に帰った。
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母親には事前に
起業して大学を辞めたいとは伝えていたが、
母親からはこう言われた。

「心配はあるけど、ゆうじの人生、ゆうじのやりたいことをやりなさい。ただ、パパは反対すると思うからちゃんと納得いくまで話しなさい」と。

親父の友人が経営する居酒屋に
親父と、親父の親友を呼び出した。

軽く食べて、飲んだ後に
「親父、相談があるんだけど、、」と
切り出した。

「起業して、事業に専念をするために大学を辞めたい」と。

今まで僕がやりたいこと、決めたことには反対してこなかった親父が、初めて反対した。

親父「せっかく大学に行ったんや、もうすぐ卒業なんやから(当時大学3年生)最後まで頑張れ。大学を辞めないとやりたいこと(起業)はやれないのか?」と。

僕「大学を卒業しても就職はしない。だったら早いうちから辞めて専念したい。」

となりで黙って聞いていた親父の親友がこう切り出した。

親父の親友「ゆうじ、子供のことを想う親の気持ちもわかってやれ。俺らは学歴もないし、頭もよくないし、選択肢がなくて大変な思いもした。だから、せっかく行けた大学を卒業してほしいと思うのは当然や。」と。

僕「それはもちろんわかってる。中途半端な気持ちで言ってるわけじゃない。やりたいこともあるし、ちゃんと成功させて親孝行もしたいと思ってる。」

親父と親父の親友の呆れたような顔から
「俺らも同じやったな、、」と同時に声が出た。

親父の親友「俺らも同じやったから気持ちはわかる。でも、思っている以上に大変やぞ。反対や批判はつきもの。やるなら、男なら、最後までやり抜け。」と。

親父は、俺の言葉を黙って聞いていた。

少し経って、無理して作ったような笑顔で親父はこう言った。
「自分のやりたいことをやりなさい」と。

僕は、大学4年生の4月、
始業式の日に退学届を出した。

そして、働いた。
来る日も来る日も、朝から朝方まで働いた。

数ヶ月が経ち、仕事にも少し慣れてきて、うまくいき始めたある日、1本の電話がかかってきた。
珍しく、母親からだった。

母親「さっきパパから変な電話があって、、心配やから様子を見てくる。」

僕「なんて電話があったの?」

母親「"今までありがとう。ごめんな、ゆうじと妹2人を頼んだぞ"って。」

嫌な予感がした。

ずっと心が落ち着かないまま
半日が過ぎ、夜、電話が鳴った。

母親からだった。
電話に出たが、ずっと黙っている。

母親「パパ、、見つかった、、」

電話越しの、涙で言葉が出ない母親を感じて悟った。

「職場の近くで、、自分で、、、」

頭が真っ白になった。

色んな感情が込み上げて、電話越しに涙が止まらなくなって、その日のことはあまり覚えていない。

それからの毎日は一瞬だった。

通夜が終わり、お葬式が終わり、普段、あまり連絡を取らない親族から、お金や宗教の話をされ、目の前で起きていることへの整理がつかないまま、色々な手続きが淡々と進んでいった。どれぐらい経っただろう?
数ヶ月の間、僕は心にぽっかりと穴が空いた状態のままだった。

当時、心ここに在らずで、
仕事も何も手につかない状態の僕に

「今はこんなことがあって大変だと思うから、心が落ち着くまで無理しなくていい。会社は俺が守っておくから安心して休んでくれ。」と言ってくれたパートナーの言葉を忘れはしないし、心から感謝している。
あの言葉がなかったら、僕は本当に砕けていたかもしれない。

親父は土木関係の仕事をしていた。
優しくて、責任感が強く、曲がったことが嫌いで、頑固で生真面目な性格だった。

人の相談や話を聞くことが多く、自分の話や弱音はほとんど話さないが、周りからは信用や信頼があって頼られている存在だった。

実は、東日本大地震があった頃、僕の地元でも同じような災害があって、たくさんの方が亡くなられた。

橋や道路は壊れ、水害で街全体が浸水して、とても仕事ができる状態ではないような状況が3ヶ月ほど続いた。

先程の親父の親友のご両親もこの災害で亡くなられたのだが、第一発見者は僕の父だった。

後で聞いた話だが、
「地元やみんながこんな大変な時に仕事を始めていいんだろうか。。」周りにはこう漏らしていたらしい。

責任感によるプレッシャーや、親友のご両親を発見した時のショック、仲間や家族のこと、色んなものを抱えてたんだろう。

災害から3ヶ月が明けて、街も少しずつ動き出し、親父が仕事を始めるために現場を見に行った時、大事ないくつかの機械が動かず、そこですべてのことがプツンと切れたんだろう。

その日の夜、親父は現場の裏山で
変わり果てた姿で見つかった。

亡くなった後、親父の仲間たちからは、親父の人間性や親父とのエピソードの話をたくさんされた。知らない一面の話などもあり、すごく慕われていたことはわかった。

「家族がいて、子供もいて、仲間もいて、仕事もあって、お金に困ってる訳でも、人間関係に困っている訳でもない。なんで、お前の親父みたいな素晴らしい人がこんな判断をしないといけなかったんだ、、」
ほとんどの人がそう言ってくれた。

色んな人の話を聞いて、僕は悟った。

周りからは何も不自由がないように見えても、色んなものを抱えすぎて、心に余裕がなくて、心が満たされてなかったんだろうなと。

親父のように心が満たされず、
自ら間違った選択をしてしまうような、
そんな人を世の中から無くしたい。

少しでも笑顔になれたり、感動したり、明日も頑張ろうと思えるきっかけをつくりたい。

親父がいなくなって、母親と妹2人。
僕がやるしかない。

色々な想いを胸に
出資者の元を離れて、
独立して起業することを決意した。

親父がたくさんの人たちとの出逢いやつながりを大切にしていたことを知り、僕も同じように親父が大切にしていたものを大切にしよう、という想いを込めて、親父が創業した日と同じ日に、

「リアルなリレーションをつくる」という
想いを込めて、今の会社を設立した。

そして今、

「エンターテイメントで、人々の心を豊かにする」

というビジョンを掲げて、活動している。


この記事を書くかどうかすごく悩んだが、僕の人生の中で一番大きな出来事で、全てのきっかけになったことなので記事にしました。

親父が亡くなって、
最後に教えてもらったことを、
この記事を読んで頂いているあなたに伝えておきたい。

僕は親父にしてもらうばかりで、何もしてあげることはできなかった。

もっと一緒にご飯に行ったり、趣味を共有したり、たくさんの時間を共有して、思い出を作っておけばよかった。

「ありがとう」と感謝の気持ちをもっと伝えておけばよかった。

居なくなって初めて、色々なことを思いました。

親や兄妹、家族、友人や仲間、恋人や大切な人がいつどこでどうなるか、分かりません。
当たり前の毎日が一瞬で消え去ることもあります。
その時に、後悔だけはしてほしくない。

なので、あなたの大切な人が
生きているうちにちゃんと大切にしてあげてください。

今日からまた1週間、頑張りましょう!
楽しく、有意義な毎日をお過ごしください。

最後まで、お読み頂き、ありがとうございました。

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