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好き

好きという感情について。 例えば食べ物なら美味しいから好きなどという極めて単純な理由で好きになれるのに、どうして人間が相手だとこんなにも複雑になるのだろう。人に対して好きと一口に言ってもどの部分が好きか、例えば顔、性格、スタイル、家柄、職業…など様々な選択肢が生じる。料理は単調なものである。しかし人は複雑なものであり様々な要素で構成されている。かつ一人一人に意志がある。また、対人なら受け取る側にも意志が発生する。 "芸能人などに対して好きと言うのはありがとうという反応が返

    • 春明

      いきなり暖かくなったからか、4月という新シーズンの始まりだからか、なんとなく街が活気に満ちており、浮き足立っている印象を受けた。私も恐らくそのような理由から、久しぶりに外に出てみようという気分になった。 長いこと気になっていた喫茶店に行ってみることにした。店内は相当な広さだったが、席が空いておらず、5組ほど並んで待っている状況だった。しかし店内の広さゆえか、回転率は思ったより高く、あまり待たずに入店することができた。 お腹が空いていたのでカルボナーラと紅茶を頼んだ。紅茶は

      • 浮遊感

        どことなく自分がその場にいないような感覚が今日は酷い。仕事ではそのままでも成り立つので楽ではあるが、故に苦しくもある。そのまま進むということは楽だが、その状態というのは自分にとって寂しいものでもあるのでどこかで気づいてほしいという思いもある。それでも仕事はできるので、問題は無視され、そのまま平常のまま進んでいく。友人関係であるとこうはならない。心ここに在らずの自分に気づかれてしまうことが多い。それは嬉しくもあるが、同時に苦しくもなってしまう。放っておいてほしいとも思ってしまう

        • 優しさ

          出勤のために毎朝バスに乗る。この日はたまたま席が空いておらず、優先席に座ることになった。乗客が多く何人かが立っており、私の目の前にもおばあさんが立っていた。 ここは優先席であり、年配の方には席をお譲りくださいとのシールも貼ってあり、譲ったほうがよいのだろうかと思った。しかし、席を譲るということはその人を年配の方だと決めつけることにもなるのだ。相手は歳をとることを気にしており、自分はお年寄りだと認めたくない人であった場合、私が席を譲ることは逆にその人のプライドを傷つけてしまう

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          カフェ

          今日は初めて入ったことのないカフェに来た。知らないお店に入るのはなかなか勇気のいることだ。 わらびもちと黒胡麻のパフェを頼んだ。上にアイスも乗っていたのだが、食べていると体が冷えて途中で手を止めてしまった。パフェは甘かったり飽きたりお腹いっぱいになったりこのように冷えたりなど、さまざまな理由で途中で手を止めてしまう人が周りに多かったが、わたしは無類のパフェ好きであり、パフェに関しては例え甘かろうが冷えようが一気に最後まで食べてしまい、途中で手を止めるなんてことはなかった。そ

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          認識と鈍感力

          いつのまにか親指の付け根を怪我していた。どこで怪我したのか分からないが、そこそこの出血量だ。 怪我していると気づくまで全く痛みを感じていなかったのに、怪我していると認識してしまった瞬間からいきなり痛み出した。 傷が痛いというより、傷を認識してしまったから痛いのか、傷が痛くなったから認識したのか、どちらかは分からない。 しかし、認識したから痛くなった、と捉えると、つまり認識してないものは痛みが生じないということになる。 思えば最近悩んでいた頭のかゆみとフケもそうだ。頭が

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          最良と最悪

          私はよく物事の最も悪い可能性を想定して怯えてしまう。 今回は飲んでいる薬について考えてしまった。 私の飲んでいる薬は少し特殊な薬かもしれない。使い方によっては凶器ともなりうる薬である。どの薬もそうかもしれないが、よりそのような良くない使われ方をされることが多いものである。 過去の事例として、効果の似ている薬がよくない使われ方をされて一般に出回らなくなってしまったという話がある。 自分の薬もいつそのように手に入らなくなるかわからない。そもそも一生その薬を飲み続けるのか?

          最良と最悪

          日記2 均衡

          今あるバランスが崩れるのがとても怖い。自分は十分に幸せなほうでも恵まれているわけでもないと思っていたが、それでも恵まれていたのだなと実感する。そしてそのバランスはひとつでもずれるとすぐに崩れてしまうかもしれなかった。 考えうる限りで最も悪い可能性を考える癖がある。それなのにそのような現実を突きつけるようなものばかり見てしまう。 数日前から身体がかゆい。そのことだけで最も悪い可能性まで考えてしまってひたすら怯える。 今はそこそこ幸せだ。でもこのかゆみが悪化してしまったら、

          日記2 均衡

          確率

          定期的にある物事が酷く気になって怖くなることがある。大抵それは確率によるものである。 今は無性にコロナウイルスの感染が怖く、自分が感染していたらどうしようと怯えている。 コロナウイルスに感染してるかどうかは確率の問題だと思う。感染している可能性も否定しきれないし、感染していない可能性も否定しきれない。完全に感染していない可能性がゼロだとは否定しきれない。そのような、はっきりと安全だと断定できないものが気になって、無性に怖くなってしまうことがある。 感染するかどうか、また

          選択

          私は物事に熱中したり何かが気になったりすると、とことんそれについて取り組んだり気になったりしてしまう傾向がある。 少し前は、好きな分野の学問に熱中し過ぎていた。講義が終われば教授に書き溜めていた質問をしに行き、オンラインで行われている場合でも同様に気になった点をたくさん質問していた。とにかく充実していた。その講義があまりにも楽しかった。 しかしそのように熱中しすぎると少しずつ生活が乱れていく。気づいたらあんなにも楽しかった講義、あんなにも楽しかった内容が以前のように入って

          創作 『雪の帰路』

          毎年のように空を見上げる。 今年もそんな時期がやってきたのか……と、惰性のように繰り返す日々を半ば諦めながら、かじかんだ手をポケットに突っ込む。ゆらゆらと落ちてくる雪を眺めながらこんな気分に浸るのは、いったいこれで何度目だろう。 「仕事終わった、外さむ…。」 少しだけ自由に動くようになった指で端末を操作する。snsを開き、たった一つの大切なインターネットの世界に向かって呟く。 「おつかれさま。」 「今日も頑張ってえらい。」 「おつかれさま!」 沢山の仲間が愛をくれた。

          創作 『雪の帰路』

          創作 『おともだち』

          明日、世界が終わるらしい。 どこかの星がミサイルを地球に向かって飛ばしたとか、実際はそのミサイルに威力なんてなかったけど、たまたまどこかの衛星に衝突してそのかけらが飛んでくるとか、衛星が爆発して地球の引力が歪んで明日には崩壊してしまうとか、何やらいろいろ言われている。実際のところ何が起きているのか誰にも分からないけれど、とにかく明日世界が終わるのは確実らしい。画面の向こう側では、ニュースキャスターが阿鼻叫喚と化しながら世界の終わりを告げている。その様子を何となく他人事の

          創作 『おともだち』

          反動モラトリアム

          仕事にて。 まずレジに立っておかしいと思った。なんとなくお客さんの言葉を理解するのにラグが生じる。言葉もうまく出てこない。そして入力。普段は10分ほどで終わる作業に20分ほどかかってしまう。いつもはこれをこうするとより効率的にできる、これは先にやるべきだ、これはこの場所にあった方がよい、などと考えながらやっているが、全く頭が回らない。自分で入力をしながらなんて手際が悪いんだと焦ってしまった。その後、キーボードを吹き飛ばす、レジに置くべきお金を受け取るトレーを謎の場所に置いて

          反動モラトリアム

          依存

          「一緒だと安心して眠れると言ってくれるのはとても嬉しい。ただ、1人でも安心して眠れるといいね。」そのようなことを恋人に言われた。 例えば人と一緒に遊ぶという予定がある。遊ぶという予定が楽しみで少しだけ毎日の嫌なことを乗り越えられる、遊んだという楽しさで頑張れる、幸せになれる。そのような考え方を私はあまりできない。人と遊んでいるその瞬間のみが幸せなだけであって、帰ったらまた虚無の状態に戻ってしまう。 睡眠に対しても同じような感覚である。人と一緒に眠る。そのことで少し幸せにな

          日記 

          "ダイパリメイク"で騒いでいる友人たちやsnsを見て苦しくなった。 実家にいる間、私の親は様々なものを制限してきた。そのうちのひとつにゲームがある。 夜ご飯は家族揃って食べるというルールがあったため、リビングで親と共にご飯を食べる。テレビを見ながらご飯を食べていると、たまにcmでポケモンやらマリオやら、楽しそうなゲームの映像が流れることがある。小さい頃は、そのcmが流れるたびに親に対して買ってほしいとアピールしたものだったが、全く取り合ってもらえなかった。 何故そこまで

          日記 

          狼狽と散漫

          何か有意義なことをしようと、晩御飯は外に出て健康的な定食を食べることにした。 外食はあまり得意ではない。以前は一人で店に入ることが出来なかったが、最近は少しずつ一人でも出来るようになってきた。 外はとても怖い。様々なルールがあり様々な人間がいて様々な音がして様々な視線が行き交う。あまりにも沢山の刺激がある。外食は特にそのような刺激の中でずっと同じ場所に留まっていなければいけない。これはなかなかの苦痛である。 人と一緒に入ったお店なら多少は安心して行けるようになってきたの

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