苔津

書きたいことを書いています。世界の中に自分が存在するのだとしたら。

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最近の記事

完敗

誰よりも結果を重視してきた。 エンターテインメントを作る以上、それを見た人がどう感じるかがすべてだと思っていた。 自分が作ったものに満足していた。 贔屓目に見ても、面白いものが作れたと思っていた。 評価も悪くなかった。 尊敬する先輩からも、今までにない素晴らしいライブだと言われた。 自分そのものだった。 それを作っていた時間は人生最高の瞬間で、これ以上なんかないと思っていた。 完敗だった。 誰よりも結果を重視してきたのに。 自分が作ったものにも満足していたのに。 評価

    • 接点は存在するのか

      数学では、線は幅をもたない。 次の問いを考える。 y=x∧2とy=0は (x.y)=(0.0)で接するのか。 答えは「接する」だ。 ------------------- 未来について考える。 存在しない。 過去について考える。 全ては状況証拠に過ぎない。 現在について考える。 どんなに現在について考えても、 それはもう過去なのだ。 それでも。 木陰を風が揺らしている。

      • 5月 東京

        上野公園に行ってみた。 こんな状況だが、少しぐらい運動しなければと思った。 こんな状況で少し遠出をすることにワクワクしていた。 10kmほど歩いた。 道中の街には、想像より多くの人が溢れていた。きっと彼らは少しでも日常を維持しているのだ。決して繁華街とは言えない地元の商店街には、行き場をなくした生活がさまよっていた。 湯島から不忍池に着く。 舗装された地面と、プラスチックの車輪の摩擦の音が心地よいノイズを放っていた。 まるで最近の状況など気にしていないかのように、彼らは風

        • "自己の連続性"と"モノ"

           アイデンティティをどこに立脚するかはその人によって異なるが、流動性という観点においては他者に立脚することは危険だと言える。他者とは自己のコントロールできないものであり、基本的には身体性を有さないものだからだ。ならば、自己に立脚していれば安心できるかというと、そうではない。自己というものも、十分な流動性を有するし、その身体性が損なわれる可能性は常に存在するからだ。仮にその人が、自身の能力にアイデンティティを立脚していたとしても、それは、事故によって失われるかもしれないし、まし

          2020年3月29日

          コロナにかかったかもしれない。 37度5分の熱がある。 穴に落ちていく。 3日後に社会人になるのだ。 光が遠ざかる。 穴に落ちまいと必死になることすらできない。 夜はまだひとり。

          2020年3月29日