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ゆっくり一藤だぜ 2024/07/20

・まじで友達、いないかも自分。親や親戚からは「大学の友達が1番深い付き合いになるぞ」とよく聞かされていた。大いにわかるし、間違いないと思う。しかしそれは友達として大切かというと、うーむ、と感じる。それならば高校の友達の方がかなり好きである。まあ、大学では制作やら実習やらで“友達”というよりも“仲間”として過ごしている時間が多いし、それに対して高校生活では、それこそ交友関係とか恋愛とかに真っ直ぐ向き合えたから(高校時代、勉強にほぼ勤しんでいなかった僕は)、人間関係の濃度が違う。

と途中まで書いていた日記を供養。この時はいわゆる躁鬱の鬱的な奴だったのかも。

・ゆっくり茶番劇を作った。僕が所属している大喜利サークルでの活動でVlog大喜利というものがある。Vlogとあるがあまり関係なく、Vlogという名の映像大喜利だ。かなり自由にやっている。その一つもして「ゆっくり茶番劇大喜利」をした。サークル仲間に「おれ、ゆっくり茶番劇作るわ」と軽はずみな言動をしたばかりにかなりの労力を割くことになった。元はと言えば霊夢、魔理沙のゆっくりを使えばよかったのに、オリジナリティが暴走して一からゆっくりを作ろうとかんがえてしまったからこのような感じになった。

ゆっくり一藤
ゆっくりえみみ


こいつらな。動画の中ではっきりと明言していなかったが上のやつは、自分自身のデフォルメキャラクターだ。やばいよな今考えたら。

・Twitterってどうしようもない場所だ。僕にとって。フォローしているエッチなイラストレーターのエッチな絵しか流れてこない。もう終わりだよ。全て焼き払いたい。いや、イラストレーターに罪はないのか。焼き払うべきは僕の網膜。

・もし一藤の原動力とは、と聞かれることがあれば答えは明白だ。「怒り」だ。憎悪か?憎悪で動く機関車だ、と。怒りは嫉妬でもあり、憤怒でもあり、はたまた理不尽かもしれない。だが、何かをする時の原動力として1番大きいのは怒りだ。怒り(燃料)は色々なところから補給できる。社会、友達、現実、そして自分自身。自分自身の怠慢やら不甲斐なさが怒りに変わり燃料になることが多いが、ここでは自分以外のに対する怒りの話をしたい。他人に対しての怒りを発生させる時は、ある程度自分に有益な怒りでないと勿体無いと感じる。つまり、どんなに腹の立つ人がいたとしても、怒りを発生させるに値しない人なのであれば、くだらなく、時間の無駄なのだ。そういう人に限って、僕の時間を無駄に使ってこようとしてくるのだが。まあ良い。そういう人はそういう人だ。何も変わらない。僕もそんな人と関わったとて何も変われない。

・有名になりてー。

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