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自意識ジレンマ 2024/07/09

・最近Twitterアカウントを増やしたが、今まで統制されていた自分のタイムラインを見ていたこともあって、統制されていない生の世間が流れ込んできた。都知事選やら事件やら。そういう自分には遠いと思ってしまう事柄にもやもやさせられたくないからテレビなども見なくなった。確かに都知事選とかは国民として知っておく義務があるのかも知れないが、ニュースでは聞きたくもないような悲惨なことが流れてくる。フィクションであるような、悲惨なこと。ニュースで流れてくる以上、フィクションではなく実際にどこかで起こったこと、事実であるという事実に耐えられない。

自分のTwitterアカウント(一藤)では、色々なアカウントをブロック、ブロックして自分が見てて心地よいタイムライン(世間)を作り出している。無関心なのは良くないかもしれないが、関心を持ったところで何ができるのか。まだ、コレを消化する方法がわかっていない。

・新しく知り合った友達とご飯を食べた。新しい友達ができるというイベントを大学に入って1年半後に再び体験できるとは思っていなかった。しかもご飯を食べるという、ハートのゲージ(乙女ゲーにある好感度メーター)爆上がりのイベントがセットで。うれしいね。仲良くなれたかはよくわからないが、僕のことを好いてくれている感は分かったのでもっと関わりたいと思った。

・僕は一応表現者だ。映画やらなんやらの業界を目指すような、いわゆるアーティストだ。あまり声高にこういう目標を言ったことがないので恥ずかしいが、なんとなく書いた。世の中には流行がある。アニメの流行、映画の流行、ジャンルの流行。手っ取り早く売れようと思ったら世の中の傾向を見て、世間のストライクゾーンにぴったりなものを投げれば良い、のか。いやわからんがそうだと思う。だが表現者としては、寄せに行ってのウケはあまり嬉しくないと思う。なんなら新しいムーブメントの火付け役になる必要があるのだ。だが、新しいこと、新しいこと、と誰もやっていないことをやろうとするあまり、自分が本当にやりたいことから離れてしまうのも良くない。まじで難しい。つまり「自分が本当にやりたいことが、誰もやっていないこと」である必要がある。コレってあまりにも時間が足りなくないか?間に合うのか?僕は。自身に納得できるのか?世間に、芸術に、自分の自意識に嘘をついてしまうのではないか?わからない。わからないがとりあえず突っ走るしかないのかも。

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