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ロシア2019

2018年12月31日成田からJAL共同運行便のS7でモスクワ経由サンクトペテルブルクへ。
隣の席は明らかに年下の男の子だった。カナダパスポートのロシア人で日本で働いてて、日本語も英語も堪能だった。ご両親がサンクトペテルブルクに近いどこかに住んでいるとかで帰省だった。私が日本からロシアに移住する事があまりに腑に落ちないらしく、あれこれ聞かれた。夏に旅行して気に入ったこと。会社を辞めたいと思っていたこと。仕事が見つかったこと。生きていくのにあまりお金の心配がなさそうなこと。物価が安くて、少ないお給料でも貯金も一応あるから生きていけそうだし…慣れたら、なんかもうちょっと仕事しようと思ってたけど。日本にいると老後のお金の心配が本当に嫌だった。どこに行っても何をするにもお金がかかるし。よく言えば、お金を出せばなんでもできる。
仕事がなければロシアへの移住は考えられなかった。これは絶対の1番。そして夏に旅行した時にアテンドしてくれた彼。だからロシアだった。人にロシア行きを話す時、大抵の人は、仕事だけを言うと、納得せず、彼の事を言うと、納得した。私はそれが、納得できなかった。
彼とは旅行中は本当に何もなかった。彼は既婚者だったし、かなり年下だし、そもそも私の好みじゃないし、面倒臭いタイプだと思ってた。とても親切によくガイドしてくれたけどね。旅行が終わって帰国してからも日に何度もテキストが来たから返信してた。外人だしこんなもんかなと思ってた。奥さんとうまくいってないとかそう言う事言い出した。最早そのテキストも残ってないし、どうして恋愛方向に進んだのかイマイチよく覚えてないけど、気づいたら彼が日本に遊びに来ることになってた。それが徐々に気づいたらうちに泊まる事になってた。どう言うつもりなのか?わかるようなわからないような。2週間の滞在で、その1か月後にまた2週間の滞在でやって来た。その時には奥さんとは別居していて、私のロシアの仕事もほぼ決まっていたので、ロシアのビザ申請にロシア大使館(当時はまだ大使館で申請だった)へ行った。
彼の帰国後、翌日にビザが取れて、ロシア行きが決まった。会社にもその翌日位に、まずは主要メンバーを集めて話した。
それまで10-12時間くらい平日は毎日会社で仕事してた。よくキャリアウーマンみたいに勘違いされたけど、私は幾つになっても根っからの腰掛けOL所望は変わりなし。でもさすがに経験を積めば給料も上がったし、そしたらそれなりにやらないといけないし。そんな風に働いていたのが、急に1日3時間だけお家で仕事。しかも全く忙しいとか怒られるような事もないし。
多分私は自己肯定感がかなり低い方で、それが仕事や恋愛で高く持てるタイプだったと思う。その一つ、仕事がなくなったのだ。行き着く先は、彼への依存まっしぐら。実はそれはある程度想定内で、ロシア行き決める時に、彼にも伝えてあった。多分私変わると思うよ…と。でも、はるかに予想を超えてた。
私が取ったビザは、180日間以内に90日間まで滞在できる3年有効の業務ビザだったから、3月初旬にはもうまた日本に一時帰国した。4月中旬にロシア戻って、2週間後くらいには、お隣の国エストニアヘ、次の180日間のために引越した。最初は日帰りで行った。ロシア側の国境の街、イヴァンゴラッドに車を停めて、両国を繋ぐ橋を自転車で渡って、エストニア側の国境の街ナルヴァへ。自転車で街を見て回り、アパートも予めエージェントヘアポをとっておき、内見したらとても良い部屋で、しかも河沿いだからそのままロシアのSIMが使えた。即決し、契約して、翌週には引越した。

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