価値観を尊重することの重要性


はじめに

今回は私のコミュニケーションの本質を
少しだけ語ろうと思います。

コミュニケーション術の上級編でもあるので
実践するのは難しいかもしれませんが
あなたの有益な情報になれば幸いです。

今回は少し抽象的で難しい話かもしれません。
タイトルもなんだか難しそうに見えるかもしれませんが
お付き合いください。

価値観の捉え方

人は誰しも価値観を持っています。
それは本人が言語化できていなくも持っているものです。

赤ちゃんが粉ミルクは飲まないのに母乳は飲む
というこだわりも
一つの価値観です。

「価値観」という言葉をきくと
難しいことのように思いますが
そう難しく構える必要はありません。

そして
人は価値観に優劣をつけてしまいがちですが
本来そこに優劣はなく
それを評価する人によって
扱いに差が生まれているだけなのです。

「自分さえよければいい」
という価値観よりも
「周りを幸せにする自己犠牲が美だ」
という価値観の方が
正しくて優れていると思いがちですが
自己犠牲の末に連帯保証人になった結果
何千万の借金を背負い、家族に迷惑をかける
なんてこともこともあるわけです。

価値観に共感するということ

なので
私は基本的に相手の価値観を否定しません。
もちろん
生理的な嫌悪や怒りを感じることはあります。
相手のことを嫌いになることもあります。
でも
その価値感自体は認めます。

「働いたら負け」
と言っているニートを軽蔑はしますが
私も働くことは嫌いなので
その価値観には共感するのです。

どんな価値観にも
部分的に共感できる要素とできない要素があると思うのです。

極端な話ですが
「人を殺してもいい」
という価値観が正しいとは思えないかもしれませんが
「殺したいほど人が憎くなることはある」
という感情には多少共感できるのではないかと思うのです。

私はそのように
第一印象で相手の考え方に拒否感を持ったとしても
一度冷静になり
なぜ相手がその考えを持つに至ったのか
の可能性を考えるようにしています。

そして
部分的に少しでも共感できる
もしくは納得できることを
相手に伝えるようにしています。

人は他人が自分に共感してくれることで安心感を得ます。
私は相手に共感することで、相手に
「この人は心を開いても安全で安心できる人間なんだ」
と思ってもらえたらいいなと思っています。

私のコミュニケーションは
win-winであることを目指していて
私は相手に共感する
相手は私に心を開く
というのは
信頼関係を形成することであり
win-winな形の一つだと思うのです。

実際にビジネスのコミュニケーション術などでも
この部分的、局所的な共感は
信頼関係を築く有効な手段として知られています。

もちろん
自分の価値観と違っていたり
共感できないことにまで賛同はしません。

でも、理解には努めます。

少なくとも、否定や批判はしません。
考えが違うということを受け入れます。

事実と価値観を混同してはいけない

勘違いしてはいけないのは
事実と価値観は違うということです。

男女の外食で男が奢るべきか問題が
よく話題に上りますが
「割り勘」という事実に対して
「相手と対等でありたい」という価値観と
「ただのケチ」という価値観では
何に共感するかが変わってきます。

「割り勘すること」
という事実に共感するのは
「自分の価値観」に照らし合わせて
共感しているにすぎず
相手の価値観との接点はそこにはないのです。

これに対して
「なぜ割り勘にするのか」
という「相手の価値観」に共感することは
自分と相手との考えは
何が同じで、何が違うのか
を共有することできます。

これが私の本質である
「人と分かり合う」ための一つの手段です。

価値観を変えることの難しさ

ちなみに
相手の年齢や人柄によっても私は接し方を変えています。

10~20代の若い人は、まだまだ価値観が未熟で
失敗も多くしているので
柔軟に考え方を変えるポテンシャルを持っていて
私が共感できない部分をお話しても
話を聞いてくださったり
そこから意見を交換したり
考えを改めたり
することも少なくありません。

一方で
50歳以上の年齢になってくると
長年をかけて形成した自分の価値観が正しいと
無意識に考えている方が多く
共感できない部分をお話すると
私の価値観を間違ってる
と判断してしまい
信頼関係を築いたり
心を通わせることが難しくなるので
私は40代以上の方を相手にコミュニケーションをするときは
ある程度、心を開いてもらうまでは
共感できることだけをお話して
共感できないことは発言しないようにしています。
そして、ある程度心を開いて下さってから
少しづつ、私の価値観をお伝えするようにして
時間をかけて心を通わせるようにしています。

とはいえ、年齢に限らず個人差はあるので
相手よって人柄も見極めながら
接し方は変えるようにしています。

先ほども述べましたが
価値観には
正しいとか間違っているとか
優れているとか劣っているとか
そういう概念は本来ないので
年齢を重ねるということで
価値観の本質的な認識が歪んでいくのは
悲しいことだと感じています。

でも
その気持ちもよく分かるのです。
自分が何十年も信じてきた信念が揺らぐことは
とても怖いことなのです。
これは私自身も経験があるのでよくわかります。

家事は女がやるものだ
と何十年も言い続けてきた男性にとって
妻を労わるために自分も家事をやるべきだ
ということを認めるのは
周りからどんな目で見られるかも分からず
ものすごく恥ずかしいことですし
今までの自分の人生何十年を否定することになり
絶望を感じるものです。

ずっと男性にチヤホヤされて
養ってもらうことに拘っていた女性が
年齢を重ねて男性から相手にされなくなったとき
自分もちゃんと自立すべきだという事実を認めて
一から勉強を始めることは
自分が何十年も生きてきたのに
不出来で何も持っていないことに
絶望を感じると思うのです。

そのような絶望感はとても怖いことなので
価値観を変えるという選択肢を
人は無意識に頭から外してしまうのです。

私自身は
それまで持っていた価値観を根本的に変えることを
人生で何度か経験しているので
今でも自分の考え方や価値観は必ずしも正しくないのだと
意識的に認識するようにしています。

自分の行動や発言の結果が
自身の価値観と食い違っている場合は
素直に考えを改めるべきだと考えています。

なので
今この記事で語っていることも
将来は180度違う考えに変わる可能性もあるわけです。



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