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キャンプで味わうあの「深い時間」の正体とは?

岩木山の青い空の下、りんごの花をよそ目にキャンプ場へと向かう。
新調したテントなのでややもたつきながらも設営を終えて一息つく。
目の前にそびえる御山は、前面からの光を浴びて、繊細な表情を浮かべている。

とくにやることはない、ただ読書してうつらうつらと過ごし、メシの支度をして焚き火をするだけなのだから。

「ああ暇だな」

そう思ったとき、じわりと時間が溶けて自然とつながり、自由になったような解放感があった。
あの「深い時間」はなんだろうか。

休日を充実させなきゃと焦燥する現代人

でも本当は、余暇を「無駄に」過ごすことこそ、余暇を無駄にしないたの唯一の方法ではないだろうか。

限りある時間の使い方|オリバー・バークマン[著]|余暇を無駄にしない唯一の方法

世は資本主義の消費社会。人々は商業サイクルの術中に陥いる。
あれも欲しいこれも欲しい、次はあそこに行こう、その次はあそこに行かなきゃ

さらにSNSも相まって人々は所有物と体験のマウンティングに足をガタガタ震わせている。
まさに企業の思う壺だ。

オリバー・バークマン著|限りある時間の使い方では、「現代に生きる僕たちは、休みを有意義に使うとか無駄にするという奇妙な考え方にすっかり染まっている」や「余暇は仕事のための回復期間に成り下がっている」とも表現されていた。
たしかに実際の休日では、ランチはあそこにして、あそことあそこでショッピング。流行りのカフェでくつろいで、ディナーは有名なあそこにしようなど充実させなきゃと考えている。
そんな休日の過ごし方ではあの「深い時間」を味わうことはまずない

深い時間の正体は「あきらめる喜び」

そんな焦燥感たっぷりな現代の休日の過ごし方から離れて自然に身を置く。
充実させなきゃという洗脳状態から解かれたときに手に入れたのは「あきらめる喜び」ではないだろうか。
中世の農民は時間という物差しはなく、日が登れば起きて沈めば寝る。
ノルマやゴールに向けて競争する必要はなく、所有物や体験でマウントされることも少ないだろう。
あの「深い時間」はそんな昔の過ごし方に似ている


とくに都市部は人類にとって都合の良い人工物に囲まれているので、いつか欲しいものは全て手に入ると期待しているし、時間も人も物もコントロールできると思い込んでしまう。
キャンプで感じられる自然の雄大さにその思い込みが解かれたとき、本来あるべき余暇の喜びを感じられるのかもしれない。

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