世の中の役に立つには自由でなければならない

‘保身‘‘制約‘の中で正しいを叫び続ける難しさ

わたしは今まで医療だけでなく、消防関係や一般企業などでも社会経験がある。国会中継を見たりたくさんの人と関わる中で強く感じたことは、縦社会で正しいことを発言し続ける難しさ。
※もちろん自分がすべて正しいと思っているわけではないことは前提で。

悪しき風習「暗黙のルール」「マニュアル通り」

その組織が大きければ大きいほど、統一化が必要になることはわかる。
だがしかし日々「当たり前」は刻々と変化しており、自分も常にアップデートして学び続けなければならない。
新しい根拠や考え方を自主的に手に入れて活かしていこうとする先に立ちはだかってくるのが、「暗黙のルール」「マニュアル」なのである。
学会で新しいエビデンスが発表されても
国際規格が変更になっても
その組織に属している時点でそこでの正しさは「マニュアル」なのだ。
マニュアルを逸脱していれば事故報告、指導対象。お金と時間をかけよりよい知見を拾って帰ってきた結果が、それ。
だからわたしは組織を捨てた。浅はかかもしれない。それでももう間違いだとされていることを知らん顔して続けることはできなかった。

 そう思って社会を見てみると、社会は悪しき風習であふれていた。

一時期政治の道も考えたが、それもまた縦社会・組織と一緒だった。「その素敵な考えを持っているあなた」に投票したところで、そのあなたも結局組織の一部で発言・反映するのは難しい世界だった。
そんな中で強さを発揮するのが「手に職を持ち自立している存在」だと思っている。

「帰るところがある」「選択肢がある者」の強さ

政策や発言の是非は別として、手に職がある者が政治家となることに強い意義を感じている。失脚を恐れず自策を突き通しているからだ。多くの政治家は保身を図って強いものに巻かれている。家も収入も全ておんぶに抱っこだからだ。私たち国民よりも高い給料をもらい、家まで与えられて、それが失うのが怖いとひたすらただの駒となり下がる。そんな人たちに「よりよい」を求められるはずがなかろう。
 手に職がある人は恐れを知らない。自分の帰るところがある。政治がだめでも「頑張ってきてくれてありがとう」と迎えてくれる世界がある。そんな彼らを見て、恐れ多くも自分の重ねる面があった。強く自由である者が、理想の世界を追求していけると強く思う。だからわたしはフリーになった。これがだめでもあれ、これ。選択肢を増やし続けていく。

「巻かれる奴は置いていけ」AIに負けない手段を今から。

なるべく安く有能で使える人材を企業は求めている。しかしそれだとAIに勝る人間てほぼいないと思っている。ロボットは買ってしまえばお金がかからないし、人間よりはるかに仕事が正確で速いし、さぼったりずるいこともしない。社員とその家族などそんなことも考える必要もない。自分が社長だったら「生産性のない愚痴文句」「やることしかやらないむしろやることもやらず定時まで時間消化」そんな奴より絶対にロボットと組みたい。今の医療業界そんな看護師も多いことに恐怖を感じている。自分も家族も友達も病院に任せられない。
 近い将来そんな看護師の雇用は減ることになる。今からでもしっかりとした理念ホスピタリティをもってAIに負けない魅力を身に着けておきたい。

結局話が二転三転何が言いたいかよくわからなくなったが(笑)

フリーランスは責任があるが故、自由。

フリーで働いていくということは、しっかりと学び続ける姿勢を持ち、裏付けされた知識と自信があっての自由により成り立つと思っている。
わたしにはまだまだ足りない面もあるが、足りない面はこれから補っていけばよい。考えることはやめない。
フリーだから言えること。言ったからこそ降りかかってくるもの。全てがダイレクトな毎日はとてもスリリングだが、理想理念・事実・データ、バランスを取りながらやっていきたい。

 社会起業は維持継続していくことはとても難しい。社会はずるい。「自主性」を食い物にしている。ボランティア=やりたくてやってるんでしょ。保育士さんが安月給なのも同じ原理だと思っている。絶対に必要なことなのに、ずるい。必要とされていることほど利益がでない。私がやりたいことも全く利益に反映されないし、でも社会に必要なことだと思ってる。だからそれを利益にするシステムを日々考えている。少しずつ変わっていけばいいな。

当面の目標は不労所得を確立し、収入がなくても動ける時間を増やしていくことに尽きる。なんとか早く達成して、動きやすい環境を作っていきたいものです。

巻かれて考えない人は切られるその時までそのままでいればいい。