『そこ』につれていく力

あるサッカー選手が言っていました。

「決定力という言葉が嫌いだ。大きなサッカーの試合の後、新聞に踊る「決定力不足」、全部の新聞を破り捨てたくなる。なんだよ決定力って。『決定力』みたいなものが単品で存在するように言ってくれるなよ。売ってるなら買いたいよ。」

わかる。

私にも、目にすると竜神バンジージャンプ(茨城県にある竜神大吊橋。高さ100mで日本一。バンジージャンプの聖地)の赤い橋の上に立たされた気持ちになる言葉があります。

私にとってのそれは「表現力」という言葉です。

表現力:感情や思考などを伝達可能な形式に表す能力。特に、より効果的・印象的なものとしてそれを伝える能力。(weblio辞書より引用)

情報そのものが大事なニュースやノウハウを伝える文章など、表現力が必要とされない分野もあります。でも、絵と文章を与えられた漫画の世界で「表現力がない」というのは「料理なんだけど味がしない」と同じ。

絵も話もあるけど何も伝わってこない、というのと同じ。

いったい「表現力」とは何なのでしょうか。

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「表現力」を考えるとき、思い出す話があります。

あふれる泉のような文章力を持つ友人がいました。20歳そこそこで知り合った彼女の文章は、いつも心臓のありかを教える詩のようで、苦い飴のようで。

どうして時間をそんな風に切り取ることができるの?と思っていました。その豊かな繊細さに、いつも少し嫉妬していました。

ものを書くプロではなかった彼女の文章は、それでも私が持たない力を持っていて、読むたび肺の下のあたりが締め付けられました。

そんな彼女が「12歳の頃初めて書いた作文」を読ませてくれたことがありました。

詳細は記憶があやしいのですが、こんな内容でした。

12歳の頃、大好きだった祖母が亡くなった。
いつもは家族6人で食卓を囲んでいて、その食器を用意するのは自分の役目だった。
でも、その食器がある朝五枚になった。
冷たい板張りの台所で、五枚のお皿を持って、立ちすくんで動けなくなった。

(もちろんこれの千倍素敵な文章で)

「表現力」を考えるとき、私はいつも、この彼女が語ってくれた「冷たい板張りの台所」に立ちすくみます。

つれていかれるのです。行ったことのない場所に。
五枚のお皿の重さが手にあるのです。そんな思い出など無いのに。
裸足で板張りの台所に立ち、軽くなった一枚の重さがわかる「いま」に襲われているのです。

悲しいとも寂しいとも語らずに。

「表現力」とは、【『そこ』につれていく力】だとわかります。

作り手の描いたものに触れて、見たことも聞いたこともない世界に、絵で描かれたあのキャラクターのすぐ隣に、味わったこともないときめきの渦の中に、もう忘れてしまっていた思い出の祖父母の前に、【つれていく力】のこと。

同時に「表現力」とは、【『そこ』に現れる力】でもあると思います。

石膏でできた像に動き出しそうな魂を見るように、写真にシャッターを押した人の想いまで見えるように、薄紙でできた風になびくアートに宇宙がつながる、ないはずのものが【『そこ』に現れる力】。

つれていかれているのです。間違いなく。そして無いはずのものを受け取ってしまうのです。

「表現力」があるなあと感じた小説や漫画やドラマや映画を思い返しても、ぜんぶその作用があります。

これまで、作り手の「集中力」や「濃度」「密度」「愛情」「緻密さ」などで好きな作品の魅力を表現していたけど、それの元になるのは【『そこ』につれていく力があるかどうか】だったのです。

表現力の優れた作品は、【『そこ』につれていく】ために、膨大な設定資料を作り込み、取材を重ね、衣装や設備に投資し、脚本を練り、共感を呼べるキャラクターを作り、引力のある敵を置き、音を磨き、風の触感を描き、太陽の温度を描くのです。

物語を描くとき、私の描いているこの絵は、このコマ割りは、読む人を【『そこ』につれていく】ことができているか?と考えます。

「ただ描いただけ」になってないか?

キャラクターの目線や息遣いが、読む人を巻き込むものであるように、描けているか?

キャラクターのこの怒りが、この焦りが、この集中が、絵から弾けて紙を超えて、読む人の体ごと紙の中に引っ張り込むように、計算されているか?

そうするともう、流れで書いていた全ての絵が失格になります。

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【『そこ』につれていく】にはどうしたらいいか?ずっと考えています。その力があまり強くないから。

「売ってるなら書いたいよ」

ほんとそうです、「表現力」。

でも、友人の12歳の少女の頃の作文が、私をいつも冷たい板張りの台所に連れていくので、「ちゃんとここに立つんだよ」と言ってくるので、

裸足のまま今日も立ちすくむことにしたいと思います。


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